世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その46 人工的に起こされた大飢饉~ホロドモール~

今日は韓国は顕忠日(戦没者追悼の日)なので休日です。
 
戦没者というのは朝鮮戦争やベトナム戦争なども含まれています。
国立ソウル顕忠院という国立墓地などで追悼式典が開かれたりする日です。
 
ということで朝鮮戦争関連のことを書こうかなと思ったのですが、準備不足のため違う出来事について書きます。
 
以前朝鮮戦争中の虐殺事件について書いた記事を貼っておきます。
 
 
さて。
以前から何度かブログの中でも指摘している通り、ドイツとソ連に地理的に挟まれているポーランドって大変だなぁと思っていたのですが、もう一つ、個人的に「何かととばっちりを受けている」と思う国(地域)があります。
 
それがウクライナです。まぁ大きな国と密接に関わっているとどこも大変だとは思いますが…
チェルノブイリの印象も強いからか余計に何かと悲劇的な国というイメージがついて回ってるのかもしれません。一度行ってみたいですね。
 
 
そんなウクライナで、1932年から1933年にかけて人工的な大飢饉が起こりました。
これによって学説によって違いますが、約200万~1450万人が亡くなったとされています。
また、ウクライナだけではなくカザフ・ソビエト社会主義共和国(現在のカザフスタン)にも一部影響が出ています。
 
人工的な大飢饉はどのように起こったか?
当時のソビエト・ロシアはウクライナで収穫される小麦の輸出を貴重な外貨の収入源としていました。
1930年に入り、ウクライナでは農業集団化が始まり、最初は自主的だった集団化が強制されていきます。
 
 
農業集団化とは、主に国有地を耕作することで、農機具や家畜などを集団で共有し、生産物を国に売って賃金を得るという仕組みです。
 
この時、政府が実際に収穫できる農産物よりも多くの農産物を要求したり、賃金を支払わなければ農民は飢えてしまいます。
 
先に書いた外貨獲得のために徴収する小麦は減らさなかったのに、収穫量は減っていきます。
集団化によって農業という自然を相手にする仕事の方法が変わったのも一因でした。
9時ー17時というような形でなんとかなる仕事ではないですもんね。天候が変われば夜通し作業が必要なこともあるはずなのに、頑張っても国に取られるだけなら働き損だと感じてもおかしくありません。
 
 
豊かな土地を持っていたウクライナでも農産物を提出すると農民には何も残らなくなり、それだけではなく、落穂拾いをしただけでも罰を受けたりしました。
 
スターリンが指導する政府のやることはどんどんエスカレートしていき、ウクライナの農民が外に出られないように国内パスポート制度を作ったり、隠れて食べ物を調達する人を告発した人には食べ物などが与えられるというように、肉体的にも精神的にも国民を疲弊させます。
 
あちこちで人が倒れ、政府に農産物を提出できなかった村は追い立てられ、少しのパンも食べられないような状況に陥ります。
農産物を作っても作っても政府に奪われる。これだったらどんな国でも飢饉になります。
結果多くの人々が悲惨な死を遂げました。学者によって死者数の見積もりがだいぶ変わっていますが、多くの人々が記録も残すことなく亡くなったということを如実に表していますね。
 
 
これが人工的な大飢饉と言われる所以です。
ソ連政府は飢餓の事実さえひた隠しにしてきましたが、1980年代には飢餓が起きたことは認め、2006年にはウクライナ議会によって「ジェノサイドである」と認定し、米英などの国もソビエト連邦による犯罪行為であるという見解を示しています。
2018年のウクライナの世論調査ではウクライナ人は79%がホロドモールをジェノサイドと認識しているようですが、飢饉による被害ということでナチスやポル・ポト政権下での虐殺ほど明確な判断は出せてないようです…
 
 
 
参考にしたもの
奥田央, ロシア農村の「大転換」――農業集団化の背景、現実過程と 総括の試み(1928―1933 年)――
79%のウクライナ国民、ホロドモールをジェノサイドと認識(2018. 11. 21 UKRINFORMより)