世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その58 へレロ・ナマクア虐殺

ディズニー作品は大体日本よりちょっと早めに公開になるということもあって、週末に『トイ・ストーリー4』を観てきました。
生まれて初めて映画館で観た字幕の作品が『トイ・ストーリー1』だったので、なんか妙な感動がありました。
 
 
当時は字幕を読むスピードが追い付かなくて内容わからず、しかも途中に出てくる改造されたおもちゃが怖くてもう一生トイ・ストーリー観ないと心に決めた幼稚園児でしたが…今ではシリーズ全部大好きです。
観れてよかったです。
 
 
 
さて、今日は20世紀最初の虐殺とも言われている、へレロ・ナマクア虐殺事件についてです。
簡単に言うと、ドイツ帝国が現在のナミビアにあたる当時のドイツ領南西アフリカで先住民・へレロ族に対して行った虐殺です。
 
 
植民地支配のきっかけの部分から探ってみると…
 
1883年、ドイツの商人がへレロの土地の一部である海岸を購入しました。
購入というよりだまし取ったものでしたが、ドイツ政府がこの購入を支持し、保護します。
 
また、へレロ族は他の民族からの攻撃にも遭っていました。
こういった攻撃から身を守るため、ドイツとの保護条約を結んでしまったのです。
 
しかしこの保護条約がそのまま守られるわけはなく、逆に暴力にさらされることになってしまいました。
 
 
 
大きな虐殺のきっかけとなった出来事は1904年の1月に起きます。
ドイツが南部アフリカに侵攻していて、へレロ族は現在ナミビアではヒーローとされているサミュエル・マハレロという当時の最高指導者(paramount chief)の指導の下、ホッテントット蜂起というドイツ人への攻撃を行います。
 
 
(このホッテントットという名前は、へレロ族とは別のコイコイ人への呼び方だそうですが、このコイコイ人が住んでいたのもナミビアの砂漠などなので、この地域の複数の民族による大きな蜂起だったということなんですかね…? ちょっと資料不足でした。)
 
 
もちろんドイツは黙っていません。8月、このマハレロの攻撃を破って砂漠に追い込みます。
ライフルやマシンガンを持つドイツ軍と、キリという伝統的な武器を持ったへレロ軍の戦いでした。(ウォーターバーグの戦い)
 
へレロ族に続き、ナマクア族も戦いに出ますが、ドイツは収容所に送ったり、強制労働をさせるなどし、結果的にはへレロ族の人口80%である6万人と、ナマクア族の人口50%にあたる1万人が亡くなります(数字は諸説あり)。
 
 
砂漠に追いやったことによる餓死や渇きだけでなく、井戸に毒を入れられたことによる中毒死もあったそうです。
 
ドイツ側は2004年に謝罪をしていますが、へレロ・ジェノサイド財団は財政的な賠償を求めている…という状態です。
100年経って謝罪…というのもホロコーストへの対応などを見るとちょっと遅すぎない?という気がしますが…足元見てません?とついつい疑いたくもなります。
 
 
この時のドイツが徹底した先住民への暴力的な支配を見せたため、この時の虐殺がホロコーストにもつながったという見方もあるようです。
細かい検証は研究者の方にお任せしますが…
 
 
 
へレロ族はじめ、先住民族の八方塞がりな感じというか、裏切られた感じが痛々しいです。
力関係がはっきりしてた方が都合がいいから、こんな支配になるんだとは思うんですけど…
 
あの頃は植民地が必要でした、には百歩譲って「そうだったんですね」と言えても(経済学的な植民地主義をしっかり勉強できていないのでとりあえずはこう言うしかない)、その土地に住んでいた無抵抗な市民を殺すしかありませんでした、にはどうしても頷くことはできない…という感じですかね。
 
なんとか先住民と共存できるように…と思ってしまうのはやっぱりキレイごとかもしれないですが、こういう事件を歴史として見ている現代では誰かがそう思ってないといけないと思います。
 
 
 
参考にしたもの
副島美由紀(2010)、ドイツの植民地ジェノサイドとホロコーストの比較論争:ナミビアにおける「へレロ・ナマの蜂起」を巡って、『小樽商科大学人文研究』119.