世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その57 一番恐ろしいのは人間~人間動物園~

毎週思いますがもう週末です。早い。
 
コバエが鬱陶しい季節になってきました。
 
 
さて、今日は戦争ではないのですが、ぞっとする考え方?催し?についてです。
 
 
それは、今も完全になくなってはいないようで怖いのですが、主に16世紀~19世紀、20世紀初めまで活発に行われていた『人間動物園』というものです。

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1928年ドイツで行われた展示のポスター(画像お借りしてます)
 
簡単に言うと、身体的な特徴を持つ民族や人種を展示し、人類の進化の過程を観察するための展示です。
 
別名『民族学的展示』などというと聞こえはいいですが、要するに進化論に則って、西欧の白人がアジアやアフリカの様々な民族や人種を遅れたものだとみなし、西欧文明との違いを観察するというもの。
 
各国の博覧会で人気を博し、未開の民族だから自分たちが入るんだ!という植民地支配を正当化する理由としても使われていたものです。
 
 
最初の頃は、メディチ家の一員が動物園と称してインド人やアフリカ人を集めていたというように、個人で行われていたものもありました。
 
また、民族に限らず、精神病患者やシャム双生児などを展示する場合もありました。
日本でも見世物小屋という形がありましたが、進化論に基づくというのとはちょっと違うので、ここでいう人間動物園とは別の分類になるそうです。
 
 
19世紀後半にはだいぶ一般化して、西欧各国で様々な人種の人々が展示されます。
展示のためにイヌイットやサーミ人、ヌビア人、各地の遊牧民など、西欧の視点から「珍しい」と思える人々が集められ、客寄せとなりました。
動物園にピグミーの人々を霊長類と一緒に並べた展示もあったほどでした。
 
 
1920年に入ってボアズの文化相対主義などが広まるようになり、こういった展示はすたれていくようになりましたが、1958年のブリュッセル万国博覧会ではコンゴの村という展示があるなど、完全にその好奇の目(もしくは上から目線)はなくなっていませんでした。
 
 
 
うーん。
なんでしょう。書いていて恥ずかしくなるこの感じ…
現代とは知識や情報の量が違うし、進化論が流行っていたし、成熟した文化ではないからこんなことが起こるのはやむを得ないのでしょうか。
 
起こってしまったことなのでしょうがないとしても、人間って考え方はそんなに変わってないよなぁとも思うんです。
知識とか情報とか以前に、自分とは違う誰かや、マジョリティではない誰かを見下すのは今も同じですしね。それを盲目的に信じて極端な行動に出るかどうかが文化や倫理、知識の違いなのであって…
 
現に過激な自民族中心主義という人はたくさんいますしね…
そういった思想を持つこと自体は罪に問えませんが、他者に理解を求めたり、強要していくようになるとどうなるか…
歴史が既に十分教えてくれていると思います。
(それでも繰り返す怖さ…)