世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その56 国として認めてもらうということ~アブハジア紛争~

先日、安楽死についての記事を書いたのですが…
NHKで最近ドキュメンタリーをやっていたようですね。
 
母に教えてもらって観ることができました。
スイスに渡って安楽死をするという選択をした女性のドキュメンタリーで、色々考えさせられました。
日本でもすぐに承認とはいかなくても、議論が活発になってほしいなぁと思います。
 
 
 
さて、今日はジョージアから事実上の独立状態にある、アブハジア自治共和国についてです。
 
調べるまで、恥ずかしながらアブハジアという名前もほとんど聞いたことがありませんでした。
アブハズ語という言語があることは大学時代に講義で聞いたことがあったかも…?くらいでした。
 
 
このアブハジア自治共和国。事実上の独立とはどういうことなのか、ということが今日のテーマです。
 
 
1989年のことです。
グルジア(数年前からジョージアという呼び方に変わっていますね)では一部の民族主義者がアブハズ人が住むアブハジアの統合を求めていました。
 
 
これに反発するように、アブハズ人はアブハジア共和国を作ろうという動きを見せます。
 
 
スフミという地域(現在のアブハジアの首都、黒海に面している地域です)で暴動が起き、ソ連が鎮圧するなど小競り合い(?)があったのち、1991年にグルジアがソ連から独立することで状況が大きく動きます。
1992年2月にはグルジアは独立を機にソ連の憲法ではなく、1921年にグルジア民主共和国の憲法を復活させます。
アブハズ人にとってこれは自治権の廃止を意味しているものでした。
 
 
そして1992年7月にはアブハジア自治政府が独立を宣言しますが、グルジア側は3000人をスフミに送り、激しい戦闘が起こります。
ここでは多くの犠牲を出したのちアブハジア側が敗北してしまいます。
 
 
しかし北コーカサスのいくつかの共和国がアブハジア側につき、再び戦闘が開始されます。
8月14日には大規模な戦闘が行われています。
 
こういった大きな争いによってグルジア軍が劣勢になります。
それもそのはず…という感じですがアブハジア側には密かにロシアがついていたのです。
 
 
グルジア軍も引き下がらず、一時はアブハジアの大部分を掌握し、多くの市民を殺害するなど「民族浄化」が行われます。
停戦後にこの民族浄化は国連から非難されています。
 
 
結局1994年、停戦合意に至り、戦闘は終わります。
アブハジア政府は新しく憲法を作りますが、まだ一部の国に独立国と認められているだけで、国際的には認められていません。

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現在のスフミ(画像お借りしました)
 
国の中に国、そしてバックには超大国…日本にいるとその複雑さはなかなか想像がつかないのですが…
きれいごとではありますがそこで生まれた人が安全に暮らしていける方向に進んでほしいと常日頃から思っています。
 
そういう面では今は戦闘はないようなのでいいですが、国が国として認められていない…というのは国民としてどういう気分なんでしょうかね。
 
もしこの議論に進展があるなら、次はどうか平和な方法で…と願うばかりです。
 
 
参考にしたもの
大場正明”ジョージアで起きた「アブハジア紛争」で続く不条理”2016年9月12日