世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その45 ハラブジャ事件に思うこと

今日はイラン・イラク戦争中に化学兵器が使われた事件についてです。
 
1988年にクルド人が多数を占めるクルディスタン地域のハラブシャという地域で、フセイン政権が化学兵器を使用し多くの住民が亡くなった事件です。
詳細は不明とのことですが、死者は5000人と言われています。
 
 
そもそもイラン・イラク戦争はどうやって起こったか。
1979年にイラン革命によってシーア派イスラム主義のイスラム共和国が成立したわけですが、イラン革命がイラク国内の多数派であるシーア派に影響が及ぶことを大統領に就任したばかりだったサダム・フセインは恐れていました。
 
実際に70年代に入ってから中央政府とシーア派勢力が衝突しており、緊張が高まっていました。フセイン大統領は1980年の9月17日、アルジェ合意(アルジェアリアの革命評議長の仲介で、イランとの国境線を決めていたもの)を破り捨ててイランの首都・テヘランなどを空爆し、戦争開始となりました。
革命で揺らいでいるこの時期に、国境を設定し直すということも狙ったようです。
 
 
 
なぜクルド人を狙った?
イラクは現在でもクルド人が多く住む国なのですが、当時はイランの味方につき、イラクを相手に実際に戦う人もいたそうです。
フセイン政権がこれに対し、毒ガス攻撃を加えた、というのが一説であります。
 
 
その一方でイラン側の仕業とする見方もあります。一番それを主張していたのはもちろんフセイン大統領だったでしょう。
ただこれも根拠が全くないわけじゃなく…死者の反応からしてシアンガス(青酸ガス)が使われたとされていますが、これは当時イラン軍が使っていたものだそうです。
これによって1990年のCIAが作成した報告書にはイラン軍によるこのガスを使った爆撃でクルド人が犠牲になったとされています。
 
しかし、最近ではヨーロッパの企業などがイラク側に兵器の元となる原料を売っていたことや、使っていたことも明らかになっているそうです。どこまで文書などで明らかになっているのかがはっきりしませんが、化学兵器がドイツ人指導の下で開発され、これがナチス政権下の収容所のガス室で使われていたものと成分が似ているという説も…
 
 
なぜアメリカもイランのせいにしていたかというと、スンナ派諸国や欧米諸国がイラクを支持していて、しかもイラク政府も正式発表せずにいたから。
 
戦争となると国も、武器を売る企業も笑っちゃうくらい利己的ですね。
どっちが攻撃したかももちろん大事だと思いますが、化学兵器が使われたこと、被害が甚大だったことをもっと目くじら立てて非難するべきなんじゃ…と思いました。
支持してる国が行ったからって黙認とか武器作るの手伝うとか、しかもガス室で使われてたのと似ていたとか…言語道断だと思います。戦争は感覚を狂わせるということをしみじみ感じました。
 
参考にしたもの
クーリエジャポン
安田菜津紀「化学兵器で5000人が殺された国から広島・長崎への祈り」