世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その44 オリンピック直前の悲劇

今日は1968年のメキシコシティーオリンピックの直前に起きた、大虐殺事件「トラテロルコ事件についてです。
 
備忘録42でアルゼンチンの「汚い戦争」について書いたのですが、この事件はメキシコの「汚い戦争」の一部だと言われている事件です。
 
 
いつこの名前がついたのかはわかりませんが、一連の弾圧が起きたのはメキシコの方が先だったんですね。
 
 
 
1968年の10月2日、メキシコシティのトラテロルコ地区で軍や警察によって学生や民間人300名~400名が銃殺されました。
 
 
この事件が起きるまでに、反政府派の学生や市民は何度もデモを重ねていました。
メキシコ政府はこの時オリンピックのために多額の資金を使っていて、それを主導する政府への不満や教育的・社会的な改革が先だと主張する声が高まっていました。
 
1968年夏から、職業学校や大学などでのデモや暴動を参加者の逮捕→学校の占有という形で抑え込みます。これに対し学生らは戦闘態勢に入り、国立工科大学では大きな戦闘も起きています。
この時は学生も武装していましたが、学生はピストル、軍はバズーカという状態で、結局この戦闘でも多くの学生が命を落としています。
 
そして10月、三文化広場での集会で武器を持たない市民に向かって銃を撃ちます。
 
この事件も、今まで取り上げた似たような事件と同じく「誰が最初に撃ったか」問題が起こり、軍は市民側(とはっきりとは言わずに周辺アパートから軍に向かって撃って来た)というように言葉を濁してきたのですが、確かにアパートから始まってはいましたが、この時銃撃を始めたスナイパーは大統領警備隊のメンバーで、このアパート自体も国務長官の持ち家だった…など完全に政府の計画であったことがわかっています。
 
そして驚くべきことにこれらの全貌が明らかになったのは政府の公式文書を公表した2001年です。
 
 
うーん。汚いですね笑
そういう時代だからしょうがないとか、そういうことじゃない気がします。
武器や戦い方こそ昨今と違っても、今も政府と市民の関係がこういう感じの国ってありますし、その後の処理のずさんさとかズルさも大して変わってない気がします。
 
その10日後に涼しい顔して(たかはわかりませんが)平和の祭典と言われるオリンピックを開催できた面の皮の厚さもすごいですよね…
 
 
日本でもオリンピックに向けて盛り上がってはいるようですが、それどころじゃない人も正直いると思います。このメキシコで起きたようなことが今から起こるとは考えづらいですが、それでも多少は市民の声を抑え込んで行われているような公共事業もあるようですし、あまり浮かれすぎない方がいいんじゃないかな、ともう一度考えさせられました。