世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その76 ポル・ポト政権が遺したもの

 
もう八月なんですね。学校に通っていないし、日本にもいないので、お盆休みとか夏休みという感覚が全くないです。
ただの蒸し暑い毎日を過ごしております。
 
 
さて、今日はポル・ポト政権の続きを書こうと思ったのですが、どんな悲惨な虐殺だったかはちょっと調べればすぐにわかることなので、その後の影響について調べたものを書いてみたいと思います。
 
 
 
ポル・ポト政権が掲げていた思想は、原始共産主義というものでした。
これは一言で言うと、原始時代に戻るようなもの。貨幣もなく、格差もない、自給自足の生活です。
そのため都市に住んでいた人は農村に移住させられ、知識人と言われる職業につく人(医者や教師など)を処刑します。眼鏡をかけているという理由で知識人とみなされ処刑される人もいました。
(ちなみにポル・ポトも留学してますし、その側近らも知識人で眼鏡かけてたらしいです)
 
純粋で無垢な子供たちを教育? 洗脳?し、子供に治療をさせるなどのとんでもないことも行われていました。
 
そんな社会を目指していたので、結婚にももちろん自由はありません。
強制的に国家が決めた結婚をし、生まれた子供すら国家共有の財産となりました。
 
ポル・ポト政権の崩壊後もこの結婚によって生まれた子供は、崩壊後に自由な結婚によって生まれた子供よりも、教育にお金をかけてもらえない傾向にあったそうです。
 
また小暮・高崎(2014)によると、ポル・ポト政権下に収容所や埋葬施設の近くに住んでいた夫婦は、遠くに住んでいた夫婦より子供への教育投資が少ない傾向にあったとのこと。
(政権後の夫婦は立地による違いはない)
 
ポル・ポト政権下ではその思想を守ることが一番であったため、政権崩壊後も政権下で感じた恐怖の影響を受けて子供の教育に力を入れることに踏み切れなかったようです。崩壊といってもその後内戦状態が続いてますしね。
 
 
『最初に父が殺された』を見た影響か、政権崩壊の後の子供たちが気になって論文を読むに至ったのですが…
最初は特に強制結婚というものが大々的に行われたからこそ、こういう結果が出るのかなと思っていました。でも考えてみたらどの戦争も似てるのかなぁ、という気がしてきます。
親も恐怖と混乱の中を生き抜いて、多くがPTSDを患ったりそれに近い症状を持っている中、やっとの思いで生活を立て直しているのに、すぐに子供の教育に力を入れなきゃ!とはなかなかなれないと思います。
 
それに毎日顔を合わせる夫や妻自体が戦時中の苦い記憶そのものだったりすると、それだけで辛いことを思い出してしまいそうですし…
 
 
虐殺ももちろんですが、生き残っても長期的に癒えない傷を負うことになるのも、それによって教育を受けられず、国家の発展自体に影響を及ぼすことになるのも戦争の一部分なんだと、しっかり覚えておきたいです。
 
 
参考にしたもの
小暮克夫・高崎善人(2014)カンボジア大虐殺の教育への長期的影響、『経済研究』65(1)、一橋大学