世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その64 因縁のツチ、フツ、そしてトゥワ~ルワンダ虐殺①~

今日からルワンダについてまとめてみたいと思います。
 
 
高校生くらいの時に映画『ホテルルワンダ』を観てショックを受け、それ以降コンスタントに記事を読んだり、本を読んだり、ドキュメンタリーのような動画を観たりしていた事件なのですが、自分で書くために色々調べているとまた違った気持ちになりました。

 

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これが1994年という最近に起きた出来事だということ、そしてヘイトスピーチなどの扇動によってご近所同士殺し合うという最悪の行動を起こさせてしまったことは絶対に覚えておかないといけないと思います。
 
 
今日はまずツチ族、フツ族、そしてトゥワ族の歴史的背景をまとめておきたいと思います。
 
 
ルワンダ虐殺といえば、大雑把に言うとツチ族(牧畜民族)とフツ族(農耕民族)の対立という認識が一般的だと思いますが、この民族はそもそも大きな違いはないとされていました。
言語、宗教、文化の面で同一で、考古学的にどちらが先に定住を始めたなどという証拠もなかったからです。
つまり牧畜民族と農耕民族に分かれたのはつい最近ということです。
 
 
証拠がない=同一民族とは限りませんが、それでも言語学的に違いがないとすればかなり近い関係であることは間違いないのではと思います。
 
 
二つの民族の分化を進めたのは19世紀末のヨーロッパ諸国によるアフリカ分割でした。
現在のルワンダがある地域は最初はドイツ領となりますが1919年にはベルギー領となります。
 
ベルギーが行ったのは、ツチ族優遇の政治でした。税や労働の面だけでなく、教育もツチ族だけが受けられるなどの差別がありました。1930年にはツチ族にのみ身分証明書のようなカードを作っています。
 
 
しかし、第二次大戦後、アフリカ各地で独立への機運が高まると、ツチ族もまた独立に向けて動き始めます。
そうすると、ベルギーはどうするでしょう。
フツ族(元々数では多数派だった)を支援するようになるのです。
 
1959年にはフツの指導者がツチ族に殺害されたという情報が流れ(誤報でした)、お互い報復するというツチ―フツ間の初めての暴力事件が起きます。
 
1961年には王政が廃止され、フツ系のグレゴワール・カイバンダが大統領になります。
その頃多くのツチ族が殺害されたり、難民になったりしました。
 
 
この難民がルワンダ愛国戦線を結成し、ルワンダへの帰還を目指すようになります。
フツはフツで、国内でツチを侮蔑するような雑誌が作られていたりするなど、あちこちで風船がふくらむかのようにお互いへの悪い感情が募っていくのでした…
 
 
 
トゥワ族は?
以前ブログにも書いた内容ですが、トゥワ族はルワンダ虐殺で大きな被害を被っています。
 
フツやツチよりも先にこの土地に住んでいたのがトゥワ族です。
現在でも差別や偏見にさらされていて、フツVSツチだけではないんだということを知っておかなきゃいけないな、と思います。
 
 
 
今回もう一度色々な資料を見ていてやっぱり植民地が原因か…というのが最初の感想でした。
鍋島孝子(2011)でも、これほど対立が深まってしまう理由として、植民地化によって近代化が進み、元のアフリカ的な社会階層が多層化することなどを挙げています。
 
 
でもそれだけが理由だとしたらトゥワ族が昔から、そして今でも差別され続けるのはどういうことなんだって思うんですよね…
このことも元いたトゥワ族の土地にツチやフツが入って来たことによると考えればいいのか、ルワンダの余剰生産が出にくい土地の特徴(土地を多く持っていたほうがいい)が原因だと考えた方がいいのか(一理あるけどトゥワ族は狩猟民族だしな…)、それとも人数が少ない部族や、弱い者を虐げる人間の悪い部分としか説明がつかないのか…
 
 
まぁ話は逸れましたが、やはりこのルワンダ虐殺も、始まりは大国に振り回されている感がありますね。
次回は有名ではありますが、虐殺が起きていた頃のこと、そしてその次はその後のルワンダについても調べてみたいと思います。
 
 
参考にしたもの
鍋島孝子(2011), ルワンダ虐殺にみる紛争予防の失敗:国際政治にとっての民族紛争のリスク概念,  北海道大学, 『メディア・コミュニケーション』61