世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その25 第二次大戦中のベラルーシ

 
良い天気の日が続いています。
インドア派だからかあまり天気によって気分が変わったりということはないのですが、窓から光が入って濃い緑が見えると嬉しいものですね。
 
 
 
さて。
最近旅行地を選ぶ中で、断然興味がある、というかいつかは絶対行きたい国ができました。
 
ベラルーシです。
 
前から西ヨーロッパよりも、東欧、中欧の雰囲気に惹かれていたのですが、ポーランドより東はまだ未知の世界で…
ルーマニアやウクライナのリヴィウなどに行ってみたいなーと思っていました。
 
そんなとき、前に読んでいた『ボタン穴から見た戦争』もベラルーシでの子供たちの戦争体験の話だし、実際行ってみたらどうかな~と期待に胸膨らませています。
 
 
今日は第二次大戦中のベラルーシの悲惨さについて書いておこうと思います。
 
「カティンの森事件」について書いた時にポーランドの独ソに挟まれてた状況を嘆いてみたりしましたが、ベラルーシも例に漏れず、この独ソ戦の激戦地となってしまいます。
 
ドイツ国防軍に占領されたり、1944年のバグラチオン作戦によってソ連軍が奪回したり、ベラルーシは踏みにじられている状態でした。
 
その犠牲者数から見ても、ベラルーシの悲惨な状況は明らかです。
越野剛(2014)によると、戦争を通してベラルーシでは220万の国民を失うことになります。
ソ連全体では2700万人です。とするとごく一部(にしても多すぎ)に見えますが、戦前のこの地域の人口はなんと920万人。
死亡率が高すぎるのです。
 
 
一番よく知られている虐殺事件に、ハティニ虐殺事件というものがあります。
ドイツ軍によって村がほぼ壊滅状態となった事件ですが、この事件が有名になったのは、記念公園ができたからであり、このような村はいくらでもあったと言います。

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ハティニ虐殺の記念像「不屈の人」(画像借りてます)
 
また、カティンと似ていますが、クロパティの森という場所で7000人以上ともされる人々がソ連軍によって銃殺されたとの報告もあります。
 
 
しかも複雑なことにドイツとソ連だけの戦いではなく、ソ連からの独立を目指していたウクライナ人の一部がナチスに協力し、ハティニ虐殺事件などの実行役になっていたそうです。
 
 
もう何がなんだか…色んな思惑が一カ所に集まりすぎですね。
とにかくこの戦争によって四分の一に近い人々が亡くなっているベラルーシ。
そのベラルーシがどんな風に復興し、今に至るのか、勉強を続けたいです。
 

 

ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言 (岩波現代文庫)

ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言 (岩波現代文庫)

 

 

 
 
参考にしたもの
越野剛(2014), 「ハティニ虐殺とベラルーシに見る戦争の記憶」, 『地域研究』14(2),京都大学地域研究総合情報センター