世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その13 カティンの森事件

こんにちは。

こちら韓国。なんだか蒸し暑かったりして「え?春なかったけど?」という感じです。

 

今日は「カティンの森事件」についてです。

 

第二次世界大戦中にソ連のグニェズドボという町(現在のベラルーシに近い場所に位置しています)の近郊の森で、ポーランド軍将校や警察など捕虜としてとらえられていた約22000人がソ連軍によって秘密裡に射殺された事件です。

 

 

この事件が起きたのは、ポーランドがナチスドイツとソ連の両方から侵攻されていたことが一番根本的な背景だと言えると思います。というかもはやポーランドの位置が問題?

 

軍人は両国によって武装解除され、ロシア側に降伏した軍人は捕虜となって強制収容所に送られます。これが1939年の9月ごろ。

1940年にはもうすでに何万人もの軍人が行方不明になっています。

 

1941年の独ソ戦争に参加するためポーランド軍が再編成されますが、人が集まらず、ポーランド政府はソ連側に捕虜釈放を求めます。しかしソ連側は釈放はしたが輸送が遅れているなどと言い、結局兵士は戻って来ません。

 

1943年になり、ドイツ軍がスモレンスクにある森でおびただしい数の遺体を発見します。これによりこの事件が少しずつ明らかになっていきます。

この後は、調査を求めるポーランド政府に対しソ連がドイツの仕業だと言い張ったり、自分たちじゃないと言い張ったり、調査委員会を作ると言いながら全員ロシア人メンバーで、最初からドイツのせいだと決めつけるような証拠ばかり出して来たりと、ソ連は全く認めません。

 

その後冷戦下でも調査されたりしますが、結局1980年代後半に機密文書が出て来たことによってゴルバチョフが従来の主張を覆すに至りました。

 

 

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1990年にソ連側が犯行を認めたという文が刻まれています

その後プーチン大統領も参加した追悼式も行われたり(当時のポーランドの大統領がこの式に向かうために乗った飛行機が墜落する事故が起きていて、これも裏に何かありそうな事故のようですが)、現在はソ連軍の犯行だったことが周知されていますが、何十年もの間真相がわからないというのは、家族にとっては余計に苦しいことだったんじゃないかなと思います。

 

ソ連は本当にドイツのせいにするという策略が成功すると思ってたんでしょうかね?

そりゃ思ってたか。

 

 

この頃のポーランドについて調べると、戦争のあらゆる面を見ることができ、考えさせられます。

以前書いたポグロムもそうですし、アウシュビッツがあるのもポーランドですね。しかしその背景ではナチスドイツとソ連によって侵攻を受け、虐げられてもいました。

この事件はソ連とナチスドイツという二つの国の単純な争いだったら起こらなかっただろうなと個人的に思います。

そもそも捕虜を殺すことが目的というよりは、それを相手のせいにすることが目的だったからです。それに利用されてしまったポーランド人将校たち…

そしてその家族…

辛いです。

 

この事件についてはアンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」という映画を観ることもおすすめします(ただ相当な覚悟が必要というか、終わったあと何時間か放心状態でいても良い日に観た方がいいかもです)。

 

冒頭からポーランドの悲運や待っている人の悲しみが手に取るようにわかりますし、アンジェイ・ワイダ監督のお父さんがこの事件の被害者ということで、映画全体から怒りがにじみでてるかのようです。

 

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