世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その47 終戦直前の悲劇~葛根廟事件~

木曜日が休日になると、金曜日を充電した状態で迎えられると思ったのですが、眠いのは同じですね。
 
学校やごく一部の企業などは「裁量休日」と言って金曜日も休みにしちゃうところがあるそうですが、子供が休みなのに親が仕事という誰にとってもそんなに良くないんじゃないかなぁと思ってしまいます。
 
 
さて、今日は1945年8月14日、終戦直前の満州で起きた悲劇です。
この時期の満州での事件って世界史や日本史でもほとんど習わなかった気がするのですがどうでしょう。
小説で取り上げられていたり、残留孤児の問題として知ってはいたのですが…
 
 
満州には戦時中に日本人が多く渡っていたことで有名ですが、8月8日にソ連が日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告します。
8月10日と11日には葛根廟がある興安省が爆撃を受け、それを受けてここに住んでいた日本人は日本への帰国準備を始める「行動隊」を結成します。
 
この行動隊は葛根廟を経由して列車で非難する予定だったのですが、葛根廟付近でソ連の歩兵部隊に遭遇します。
行動隊は白旗を掲げましたが射殺されたり、戦車にひき殺されたりします。
 
この行動隊は軍人ではなく、非武装の女性や子供(200名)がほとんどでした。
戦車による襲撃の後生き残っていた人々の中には自決する人も多かったそうです。
 
 
この時逃げきった子供や女性の中には、中国人やモンゴル人、朝鮮人にお世話してもらい、残留孤児、残留婦人となる人々もいました。
 
 
こういった事件にありがちなように、ソ連は避難民の虐殺を否定します。
全て自決だったとか、引揚者の体験記録にねつ造があったなどという主張です。
1000名全て自決ってそれはちょっと無理があると思いますが…
 
 
ソ連やロシアがこれについて認めたり謝罪したというような記録はないのですがもうどうにもならないんですかね。
 
なんとなく日本の終戦というと原爆投下が一番の出来事のようになっているのですが(もちろん大きな事件であることは間違いない)、当時の満州や朝鮮、台湾などに渡っていた人々にとってはむしろここから辛い仕打ちや避難までの過酷な日々が待っていたんですよね。
 
もちろん戦争中は日本側が罰せられるようなことを起こしもしていますが、この事件で犠牲になっている女性や子供がソ連に対してなんの罪があってこんな目に遭ったんだろう、と考えてしまいます。
 
参考にしたもの
日本経済新聞『葛根廟事件とは』2014年8月13日
産経新聞『娘の首に刀を…「ごめんね、お母さんもすぐに行くからね」ソ連軍に蹂躙された「葛根廟事件」』2015年11月8日