世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その42 その名もDirty War

韓国は水原市。今日は空気もきれいそうですっきり晴れています。
 
こういう時布団とか干したいと思うのですが、韓国のアパートあるあるでベランダなしなので無理ですね。残念。
 
 
さて、今日はアルゼンチンでのお話です。
1976年から1983年にかけて軍事政権が行った「テロ」と言われています。
一言で言うと国内の民主化への動きを弾圧したものです。
労働組合員やジャーナリスト、学生などが逮捕され、約三万人が死亡、もしくは行方不明となっています。
 
明確な始まりというのはわからないそうなのですが、有力なのはキューバなどから支援を受けた共産主義のゲリラ・人民革命軍をアルゼンチン軍が弾圧したこと。
これが1975年のことです。
 
人民革命軍はアルゼンチン国内の貧しい山岳地帯・トゥクマン州を本拠地にしようとしていました。それを妨害するために当時のイザベル・ペロン大統領は軍による弾圧を命令したのです。
 
この後ペロン大統領は病気療養で一時的に職を離れるのですが、軍の弾圧とそれに反発するゲリラ攻撃は続きます。
 
1976年、陸軍総司令官だったホルヘ・ラファエル・ビデラ・レドンドを含む軍の高官によるクーデターが起き、陸海空の高官が権力を掌握、ペロン大統領を失脚させます。ビデラらは軍事政権を「国家再編成プロセス」と名付け、国会機能を停止した上で労働組合員や学生などを違法逮捕し、拷問、殺害するなど弾圧を行います。
 
1982年にはイギリスを相手にフォークランド紛争をしていましたが、こちらも敗北。政権維持が不可能となり、第一政党として急進党が返り咲き、この軍政を収拾していくことになります。
 
 
「汚い戦争」という名前のインパクト、すごいですね。
しかも「戦争」というよりは「弾圧」なんですよね。そこが「汚い」ってとこなのかな。
 
 
ちなみにこのビデラ大統領は2013年に獄中死しています。もちろんこの弾圧の件で収監されていました。一度恩赦されていますが無効となり、もう一度終身刑判決を受けたり左翼が生んだ赤ちゃんを軍が奪って軍人夫妻に引き取らせたなどの罪で禁錮50年などの刑を言い渡されていました。
このことで自分の親だと思っていた人物が生みの親の殺害に関わってたなどの悲劇も後に発覚したと言われていますね。
 
 
国として維持していく上で、自国民の中から3万人もの被害者を出すというのは、とんでもない裏切りだと思います。いくら政権が変わり、その政権が一生懸命軍政の後始末をしても、「家族が国に殺された」という傷痕は消えないと思います。
そんな国を好きになれるのかな?と疑問に思いますし、政府にとっても全く良いことなしだと思うんですが…自分の理想、保身、欲などなど国を背負う人が全面に出してはいけないものを出してしまった政治家の罪は大きいですね。
 
それにしてもこういう戦争の名前、誰がつけてるんですかね…
 
参考にしたもの
日本経済新聞 2019年5月31日
『J・ビデラ氏が死去 アルゼンチンの独裁者』