世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その65 用意された虐殺~ルワンダ虐殺その②~

納期が基本的に月曜日なので、前までは日曜日が忙しい感じだったのですが、最近はどうにか週末には仕事をしなくてもいいように調節するようになりました。
掃除やら洗濯やらなんやらやってたら週末もすぐ終わってしまいますが…
 
 
さて、今日は1994年のルワンダ虐殺です。
 
明確に宣戦布告というわけではないですが、大きな混乱は4月6日にルワンダのハビャリマナ大統領、ブルンジのンタラミリャ大統領、ルワンダの軍参謀総長らが乗った飛行機が撃墜されたことから始まりました。
ちなみにまだ犯人はわかっていませんが、ルワンダ愛国戦線、もしくは過激派フツという説が一番有力?のようです。
 
 
これによってルワンダは放って置くと政治的に空白期ができてしまいます。
誰もがそれを恐れていましたが、大統領代行の順位として一番優勢だった女性首相、アガート・ウィリンジイマナ首相は役不足だと判断されていました。
 
このウィリンジイマナ首相は大統領暗殺後、国民に沈静化を訴えるつもりでラジオ局に向かう予定でしたが、護衛のベルギー兵10名や国連から派遣されたガーナ人兵士5名が殺害され、彼女はその場こそ避けましたが、のちに夫妻で射殺されます。
 
 
こうした混乱の中、ベルギーやフランスはルワンダに住む外国人を退去させます。
また、前回のブログに書いたように、フツ族がツチ族に対してヘイトスピーチを行うなど、虐殺の条件となるような状況は全て揃っていたわけです。
 
フツの民兵は同じフツ族の人々に同じ村や、隣人のツチを殺すように命じました。
これを拒否した穏健派フツの人々もまた、過激派に殺されてしまいます。
 
結局ツチ族は80万人が犠牲になったと言われていて、虐殺に加わった人はフツ人成人男性の14~17%と言われています。
トゥワ族はツチ族に屈辱感を与えるための強姦要員として民兵に加えられるなど、卑劣なことも行われていました。
 
驚くべきことに、終戦宣言がなされたのは大統領暗殺から100日後です。
100日(大統領暗殺日などをのぞけばもっと短い)で80万人…とんでもない数です。
 
 
終戦したらしたで、また色んな問題が待っています。
本当に、どうしてこんなことになってしまったんでしょうね…
歴史って現代から見ると悪い事件も起こるべくして起こっているような、伏線がしっかりあります。
 
でも、伏線引いているうちは、それが伏線だって気付かないんですよね。
だから予防が難しいのですが…
今は色んなケースを知ることで、伏線に対して敏感になれるような目を鍛えたいと強く感じました。