世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その75 ポル・ポト政権へ

日経のこの記事…写真の中で市民が持っているプラカードは「No 日本」じゃなくて「No アベ」なんですけどね…絶対ハングル読める人社内にいるはずだし、調べたらすぐ出てくることなのにタイトル「反日」にしてしまうって…まずくないですか?

 

www.nikkei.com

 

韓国国内の雰囲気も決して反日ではありませんよ…日本=安倍首相という意味なら反論できませんが。違いますよね?

記事のタイトルを見て、どうしても言わずにはいられませんでした。

はぁ、ちょっとすっきりした。

 

さて、いくらも休憩していない気がしますが、やっぱり休みすぎると復活できなくなりそうなので続けます。

今日はベトナム戦争中のカンボジア~民主カンボジアができるまでです。
 
 
1970年、カンボジアではシハヌーク国王の外遊中にロン・ノル国防大臣率いる反乱軍がクーデターを決行します。
 
これにより、ロン・ノルをトップに据えた親米政権が誕生します。
すると、クメール・ルージュというカンボジアの政治組織が北ベトナムにカンボジアへの攻撃を要請し、1970年3月末、北ベトナムのカンボジア侵攻が始まります。
 
攻撃しているのは北ベトナム軍ですが、結局カンボジア内部での争いということですね。
結局シハヌークもこのクメール・ルージュの力を借りるしかなく、この組織のトップであるポル・ポトと手を結びます。
 
一方のロン・ノルも南ベトナムとアメリカがカンボジアに入ってベトナムへの物資補給ルートであるホーチミンルートなどを遮断することを黙認します。
 
結局1973年にアメリカが撤退し、南ベトナム解放戦線もカンボジアから去りますが、クメール・ルージュはロン・ノル政権と戦い続けます。
 
そして、1975年、クメール・ルージュはプノンペンを占領し、ポル・ポトがトップの「民主カンボジア」が出来上がります…
最初はロン・ノル政権が倒れて歓迎されていたクメール・ルージュですが…
すぐに地獄となるのはあまりに有名な話ですよね。
 
長くなるので続きます。
 
 
こう見るとベトナム戦争って本当に複雑だし、複数の国が利用し合い、どさくさに紛れ攻撃して…という感じなんですよね。
そこで暮らしている市民への配慮なんてもちろん1ミリもなくて…
戦争だからしょうがないって言うならそこまでですが、一番大事なのできるだけ多くの人が安全に暮らすことなんじゃないかなぁと思います。現代だけはそうあってほしいんですけどね…

 

参考にしたもの

世界史の窓(https://www.y-history.net/appendix/appendix-list.html