今日はまたも村単位の虐殺事件です。
とあるサイトでベトナム戦争での虐殺事件一覧のようなものを見つけたのですが、なんとなくわかってはいましたが多すぎて苦しくなりました。
その7_北ベトナムは通称ベトコン、「南ベトナム解放民族戦線」が誕生し、1960年12月に攻撃を始める。
その8_1964年の北ベトナム軍がアメリカ軍艦に攻撃したトンキン湾事件をきっかけにアメリカが本格的に軍事介入。
1968年3月16日、ベトナム戦争中のソンミ村という村で起きた、住民虐殺事件です。非武装の住民(女性子供含む)500人以上が殺された事件です。
ベトナム戦争の写真などは、教科書にも載っているので誰もが一度は見たことがあると思うんですが、ショッキングなものが多くて余計に記憶に残っています。
その中でも、この写真。(wikipediaより)
虐殺直前のソンミ村の村民たちだそうです。
おばあさんもそうですが、後ろの子供の目線の先に何があったのか想像すると今でも涙が出そうです。
この事件は非武装の村民を襲った事件として広く知られ、反戦のシンボルにもなっているのですが…
今日はその後のアメリカ兵について少し書いてみようと思います。
ソンミ村虐殺事件に関わったのは第23歩兵師団第11軽歩兵旅団・バーカー機動部隊隷下、第20歩兵連隊第1大隊C中隊のうちウィリアム・カリー中尉率いる第一小隊でした。
長くてややこしいですしこれだけでは規模がわかりづらいですね。調べてみたのですが実際何人が作戦に加わったかはわからず…ただ無抵抗の村民に対してさらにB中隊も増派されたとのことです。
戦後に裁判にかけられた兵士は14人でした。
しかしそのうち13人は証拠不十分で無罪となり、カリー中尉のみが終身刑となります。
そのカリー中尉も1974年には仮釈放されます。
これはおかしいとか、罪が軽すぎるという風に思うべきでしょうか?
罪のない多くの人々が殺されたことを思うと、軽すぎるという判断になります。
残酷な写真などを見ていると部隊まるまる有罪だ!と声をあげたくなります。
しかし、ある記事を読んで、そんなに簡単な問題でもないのかもしれない、という思いがよぎりました。
TIME誌のこの記事ではhttp://time.com/5202268/calley-trial-my-lai-massacre/
彼の裁判中のことが書かれているのですが、彼も結局命令に従ったまでで、激しい戦いの中で冷静にそれをはねのけたり、倫理的に考えることができなくなっていた、と考えることができるというのです(それでもナチスドイツでの戦犯の裁き方などを考えるとこれは全員にとって甘すぎますが…)。
彼の裁判での陪審員は軍の上司たちであり、彼らにカリー中尉を裁く権利はあるのか?という疑問も投げかけています。
実際、カリー中尉はこの作戦の決行を決めた人物ではありません。
アーネスト・メディナ大尉という人物が、ソンミ村にベトコンが隠れている可能性を指摘し、部下たちは全員ここでベトコンとの戦闘が行われると信じて作戦を決行していたのです。
しかしこの大尉は無罪です。
私はカリー中尉をかばったり評価するつもりはありません。
ソンミ村での虐殺事件は起こってしまったことだし、女性や子供、老人を含む無抵抗の村民がベトコンではないことに気付かないのはやはり問題があります。
しかし、戦争は正常な判断力を奪い、時には自国や上司さえも決定に責任を持ってくれないものである、ということを見せてくれる事件/戦後処理の方法でもあるなと思いました。
2009年8月、カリー中尉はこの事件について謝罪、後悔の念を述べています。