世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その71 大国からの独立を目指して~チベット問題その①~

香港ではまだデモが続き、昨日も警察との衝突があったようですね。
小規模ですが、その分過激になっているみたいで、警察側の負傷者も多く出てるのが気になります…
政府に「暴徒」というレッテルを貼られ、その証拠として警察の負傷者が多いと心証や立場が悪くなると思うので…
どうかどちらも冷静さは失わないでほしいと思います。
 
 
さて、今日はチベットに関連することです。
 
まず確認しておくべきこと
・長い間清の支配下にあったチベットは清の崩壊と共に独立のチャンスを得ました。そして1914年にイギリス、チベット、中国(当時の中華民国)が参加したシムラ会議という会議でチベットとイギリスの間で独立に同意があったということ、中国はこの時署名しませんでした。
なんとなく先が読める展開ですね。
 
その後も1700年代の清による分割の通り、チベットの国土の一部(アムド地方、カム地方)は中国の支配下に置かれたままでした。
 
中国共産党が政権を掌握してからは、他の地域と同じようにアムド地方やカム地方の改革を進めます。
具体的には宗教を排除しようとしたり、土地を取り上げて漢民族の人々を入植させるなどでした。
これにチベット人が反発し、チベット動乱が始まります。
 
 
チベットに住むチベット人やモンゴル人などは抵抗します。
しかし、軍の規模が違いました。
多くのチベット人が虐殺されたり、投獄されます。
 
また、抵抗は長期化します。カム地方で1956年に始まった反乱はおよそ二十年続き、60年代までに全体で8万人以上の亡命者を出しています。
 
 
2000年代に入っても騒乱は続いていますが、既に中国によってかなりの近代化が進み、人口もチベット人の定義によっては漢民族の方が多いようで…(T. マーシャル『恐怖の地政学』による)
反乱は断続的にあるとは思いますが、これからの独立となると厳しいものがありそうですね。
 
 
 
超大国との昔からの支配関係から多くの犠牲を生んでしまった例というか…
中国のサインさえあれば…とどうしても過去を恨めしく思ってしまいますが、これが歴史の興味深いところでもあります。
 
 
ダライ・ラマのことや2008年の騒乱など色々あるのでチベット問題はもう少し続きます。
その後ウイグル族のことも書きたいなぁと思っているところです。
その②へ続く。
 
 
参考にしたもの
T. マーシャル『恐怖の地政学』 さくら舎
世界史の窓