世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その8-2 ベトナム戦争における市民の犠牲②

日曜日、バタバタとしてたらブログ上げそびれてしまった…

 

前回段階的に書いた背景の中から、私の独断で特筆すべきと思った事件について書いていきたいと思います。

 

その3_日本の敗戦によってベトナムではホー・チ・ミンによる「ベトナム共和国」が誕生。

その4_再びフランスがベトナムを狙い、南部が傀儡政権。北ベトナムは対話で解決しようとしますが、決裂し、第一次インドシナ戦争が起きる。

 

日本軍に対抗すべくホー・チ・ミンはベトミン(ベトナム独立同盟会)を組んで戦います。この時日本軍はフランスの植民地政府を温存したまま統治していたのでした。

結局日本の敗戦により日本軍がベトナムから出て行くことになり、ベトナムはベトナム民主共和国の樹立を宣言しますが、フランスが反発します。

ある地域はベトナムの自治を認めますが、またある地域は住民投票によって決めるなどややこしいことに。結局フランスは自然資源の多いコーチシナという地域を自分たちの保護国にしようとします。

ホー・チ・ミンをはじめとするベトナム代表団はこれを阻止するため、フォンテーヌブローまで赴き会議をしますが、決裂。コーチシナの成立を言い渡されてしまいます。

 

お互い長期戦に備えるような動きを見せ、衝突もちょこちょこと起き…というような状況が続いた中、1947年10月からの約一カ月、フランス軍によるベトミン討伐(ホー・チ・ミンを倒す?)レア作戦が決行されます。

これによっておびただしい量のベトミンが犠牲に…

 

また、11月29日にはフランス軍が一般市民を襲うミーチャック村虐殺事件が起きます。

約300人が犠牲になったのですが、ほとんどが女性や子供でした。

 

フランス側が不利な立場にある中で起きた事件なのですが、あまり資料は見つけられず、まだもやもやが残ります。

なぜ「不利になる→虐殺が起きる」という流れになるのでしょうか?

表現が稚拙ですが八つ当たり?的なこと? ヤケになってる? 不利だからこそ恐怖を植え付けるとか?

恐らくベトミンがいると信じて作戦を練ったとは思うのですが、作戦+狂気という感じですかね…? 

 

誰がどんな思想かわからないとは言え、平和な村に入って赤ちゃんを殺すことに躊躇いがないことは私からしてみれば狂気としか言いようがないのですが、これも平和ボケなのでしょうか。

やはり国際法なんて戦時中はあってないようなものになってしまうんですね…

 

海外の方の虐殺事件がアーカイブされているサイトなどを見ても、村単位での虐殺が多すぎます…

戦争は宗教や領土の問題でどうしても起きてしまうものだとしても、犠牲が多すぎやしないかね、と暗い気持ちになってしまう、そんなベトナム戦争関連の事件でした。