世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その55 二人の大統領~コートジボワール危機~

香港で行政長官が市民に謝罪…

www.huffingtonpost.jp

 とりあえずは条例が改正せずに済んでいるようですが、市民は逮捕や暴力を追求していくようですね。

気は緩めない姿勢はすごいです。
 
 
さて。今日は2010年の選挙を発端とした内戦「コートジボワール危機」についてです。
 
 
2000年からローラン・バグボ大統領を務めていたのですが、その人気が切れるということで2010年に選挙が行われました。
 
数名の候補者が出馬した選挙では過半数を獲得した人はおらず、上位であったバグボとアラサン・ワタラの二人で投票が行われます。
バグボはワタラの不正を指摘したりするなど緊張が高まっていた状態なのですが、結局ワタラが当選します。
 
しかしバグボ側はこれに反対、彼の影響下にあった憲法評議会がバグボ側の当選を認めます。
12月3日に当選が認められ、4日には就任式を行いました。
 
しかし、ワタラは引き下がりませんでした。5日に大統領就任宣誓を行い、内閣を組閣します。
 
コートジボワールには二人の大統領が誕生してしまったのです。
 
 
他国や国連の立場はワタラの当選を認めるというものだったので、バグボを阻止しようと世界銀行が援助金を絶つなどしました。
国連の潘基文事務総長がバグボに対して退陣要求する声明を出しました。
 
 
 
国内では、ワタラの支持者が起こしたデモの参加者に治安部隊が発砲するなど、一連の混乱で173名の死者、90名の拷問被害が報告されています。
難民も増え、お隣のリベリアには1万人を超える人々が押し寄せました。
 
 
結局ワタラ側、バグボ側がお互いの拠点を攻撃し合う状態になり、平和維持軍の軍事介入が開始されました。
 
最終的には2011年4月5日、バグボが降伏の準備を始めたとありましたが結局投降拒否。
 
4月11日にフランス軍によって拘束され、ワタラ側に引き渡されました。
 
 
この二人の対立の背景には宗教問題がありました。
バグボはキリスト教、ワタラはイスラム教で、どちらが政権を握るかというのはコートジボワールのそれぞれの宗教にとって大きなことだったのです。
 
とはいえ、ここまでくると国民無視の争いという感じがして、なんだかなぁと思います。
実際この後ワタラ政権になっても、しばらくは武装集団による警察や発電所などの襲撃事件が起きていたようです(2013年以降には減少)
 
今ではバグボ政権の時よりも治安などは安定しているようですが、佐藤(2015)の指摘によると軍が政治的な存在である点では何も変わっていないということです。
 
日本にいると内戦にまで発展する選挙なんてピンときませんが、選挙がこれほど大きな影響力を持っているということは忘れずにいたいなと思います。
 
参考にしたもの
アムネスティインターナショナル『コートジボワール:危機打開の交渉合意後に起こった残虐な襲撃』2011年1月11日
佐藤章(2015)、コートジボワールは安定したのか――ワタラ政権下の軍事的状況の総括と展望――『アフリカレポート』53号