世界の備忘録

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備忘録その49 アイヌの同化政策について考える

今日はアイヌの同化政策について考えてみたいと思います。
 
 
日本史の授業でたまにアイヌ関連の戦いや同化政策について習っていたと思うのですが、さらっと触れるくらいだった気がします。
 
今回の記事では年号などに関して平山裕人著『アイヌの歴史』を参考にしています。
どこまで遡るか悩んだのですが、とりあえず明治維新後からまとめることにしました。
 
 
 
 
明治維新の後、北海道に開拓移民やってきます。
この開拓移民は明治維新で禄と呼ばれる賞与の支給がなくなった武士たちでした。
正確にこの開拓移民が何人だったかは見つけられなかったのですが、アイヌの人々はこれによって少数派になっていきます(江戸時代の最大の人口が26800人)
 
 
 
1871年、政府はアイヌ文化を禁止することから同化政策を始めます。
家焼きという習慣や男性の耳輪、女性の入れ墨などが禁止されます。
 
1876年にはこれらを行うと厳罰が下されるようにもなったようです。
 
1875年~1879年にかけてはシカ猟が人数限定の免許制になったり、鮭漁が禁止になったりとアイヌの食生活、働くスタイルまで全て変えられてしまいます。
 
 
その一方で一見するとアイヌの人々にとって寛容に見える法律もできました。
1899年の旧土人保護法です。これでアイヌ人に土地(一戸につき一万五千坪)が無償で分け与えられるようになりますが…
考えてみたらそもそもここはアイヌの人々が暮らしていたわけですよね。
良い部分は開拓移民同士分けて、残った部分を…というような具合なので優遇とは呼べません。
 
 
1912年までには21校のアイヌ学校ができていて、アイヌ人の子供が通える場所ができたようです。
しかし、これも同化させるための学校で、地理や歴史などの授業はなく、日本国民としてすぐに必要とされていた教科や和人の生活様式になじませるためのものでした。
 
 
こう見ると、意図してるのかはわかりませんが、本当にこういう政策って巧妙にできてるんだなと思ってしまいます。
一件良いように見せて、実は差別的でマジョリティに都合の良いようにできている。
 
しかも批判を受けるような法律を制定しなくてもそれが可能だったりするんです。 
例えばアイヌ語の使用を直接禁止する法律を作らなくても、学校で日本語のみで話し、大人も仕事が狩猟から農業に変われば、段々とその生活は和人と同化していく…
 てな具合です。
 
 
しかし、これも面白いというか不思議なことなのですが、アイヌ人側も同化政策を積極的に受け入れていた部分がありました。
例えば1970年代、アイヌへの差別があると訴える和人が出てきますが、アイヌの人々自ら「差別はなかった」と発言するというようなことがあったそうなのです。
 
本によると「波風立てずに折り合いをつけてきたのに」というアイヌの感情だったということですが…
1870~1890年当時のアイヌの人々だったら差別だ!と言う人もいるんじゃないかな、という気がしますがどうなんでしょう。
 
 
同化が幸せか、そうではないかは当事者判断でいいのかもしれませんが、出発点は大きな勢力の都合だったわけで…マイノリティの弱さをもう一度考えさせられます。
 
 
参考にしたもの
公益社団法人北海道アイヌ協会『アイヌ民族の概説』
平山裕人『アイヌの歴史~日本の先住民族を理解するための160話』、明石書店