日本はゴールデンウィーク終盤ですね。
私は普通の週末+子供の日の振り替え休日です。残ってた仕事をちょこちょこ片付け、家事をして、読書の時間を確保してる感じです。
さて。勉強したい大きなテーマがあるのですが…どこから手をつけていいのかわからないので、その問題を考えるためのキーワードを少しずつまとめていこうかな、と思います。
その大きなテーマというのはスーダンの問題です。
バシル大統領の退陣があり、連日の民主化に向けたデモなどがニュースになっていますが…
どこから始まり、どんな経緯をたどったか、知りたいことはたくさん…
ざっと調べて書くことはできるかもしれませんが、ちょっと立ち止まってゆっくり考えたいので少しずつほどいていくことにします。
まず、ダルフール紛争に限りませんが、こういったテーマについて調べると必ず出てくる単語に「民族浄化」があります。
なんとなく感じから意味を類推しやすいので、わかった気になってた気がしますが、よく考えたら色んな記事でジェノサイドやら、集団殺戮やらとごちゃごちゃ使い分けられていて、意外とわかってなかったかも?と感じました。
なので今日は「民族浄化」についての定義など勉こうしてみたものをまとめます。
まず、「民族浄化」はユーゴ国際刑事裁判所所長を務めた多谷千香子さんの定義によると
複数の民族集団が混在する地域において、ある特定の民族集団が他の民族集団を追放したり殺害することで、その地域を民族的に「純化」すること
(月村太郎(2009)より引用)
よく一緒に使われている「ジェノサイド」が宗教的な集団や人種も対象にしているのに対して、「民族浄化」は文字通り「民族」のみです。
また、「民族浄化」には国際法での規制がないのに対し、ジェノサイドは1948年に決まった国際法により違法となっています。
スーダンのバシル大統領も2003年のダルフールでの大量虐殺に関わったことで逮捕状が出ていますね。
「民族浄化」としては裁けないのが現状です。
また、昨今のロヒンギャ問題や、難民に関する報道で、どうしても「民族浄化」というと地理的な移動を連想させますが、その土地に住み続けながら同化させるという方法もあります。
思ってたより奥が深いです。
どういったことが動機になるのか、実際どんな例があったかもまとめたいですが、今日はここまでにして、もう少し調べてみることにします。
参考にしたもの
月村太郎(2009), 民族浄化(ethnic cleansing)について―ボスニア内戦を念頭に―, 日本政治學會年報政治學 60(2), 2_31-2_49