世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その37 自国の混乱から逃れて②~ドミニカ移民問題~

本当は昨日の記事の続きで自国の混乱を逃れたその後について勉強してみようと思っていたのですが、ちょっと方向を変えて、ドミニカ移民問題についてです。
経済的な混乱(困窮)から逃れてという意味では昨日の記事の続きということになります。
 
 
多くの日本人がドミニカに渡った背景
1950年代。日本政府は第二次大戦後の失業者への就職対策として、ドミニカへの移民を勧めます。
「カリブ海の楽園」と称し、開墾済みの土地を無償で提供すると言いました。
 
その結果1300人を超える人々が移民としてドミニカへ渡ります。
しかし、実際に与えられたのは日本政府が話していた土地の三分の一程の大きさのもので、しかも耕作不能の荒れた土地でした。
 
また、その土地というのも現地で日本が強制的に奪ったものが多かったため、現地の人の反応も悪いものでした。
さらにはドミニカ政権の崩壊なども経験し、略奪の対象となるなど、「楽園」はおろか、自殺者も出る始末だったそうです。
 
移民訴訟
2000年に入り、移民やその家族が国を相手に訴訟を起こします。
しかし国は当初の予定と違った土地の配当などをドミニカ政府のせいにし、ドミニカも自国に責任はないとするなど、責任のなすりつけ合い状態。
 
結局2006年には訴訟が棄却されるのですが、その理由は「時効」でした。
2007年には小泉元総理が政府に落ち度があったとして、特別一時金を支払い、原告も控訴を取り下げた…
 
 
というわけです。
 
ドキュメンタリーなどもちょこちょこ放送されていたのを覚えていますが、それでもあまり知られていない戦後の出来事なのではないかなと思います。
 
 
まだ若い人々が夢を抱いて、政府を信じて移り住んだ先が不毛の土地…
ずさんな現地の調査などのせいとされていますが、資料を読んでいても腹が立ちますね…
国の浅はかな考えで1000人を超える人々の何十年もの時間と幸せが奪われてしまったわけですからね。
その後の提訴からの責任転嫁もひどいものです。
 
 
 
昨日のボートピープルが「絶望」の末の脱出だとしたら、こちらは「希望」を持った移住、そののちの「絶望」。
どちらがより悪いとかではなく、どちらも国や大きな勢力の下で犠牲になった方々がいるということをしっかり覚えておきたいと思います。
 
 
調べていてわかったことですが、2019年1月に移住訴訟の元原告である日高武昭さんがドミニカで交通事故に遭われ、亡くなったそうです。
ご冥福をお祈りします。
 
 
参考にしたもの
朝日新聞出版発行 「知恵蔵」
共同通信社
ドミニカ共で法人事故死、移住訴訟元原告の日高さん