世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その59 植民地での虐殺~アムリットサル事件~

スーパーに並んだパック詰めの豚肉に「前脚の肉」と「後ろ脚の肉」があるのですが、食べても違いが全くわからない、今日この頃です。
 
 
さて。
今日は意外と今まで一つも記事を書いていなかった、インドでの事件です。
 
事件が起こったのは1919年の4月。
アムリットサルというシク教(世界五位の信者を持ちインド全土に教徒がいる宗教。日本にもコミュニティがあるそうです)の聖地で起こった虐殺事件で、集会を行っていた非武装のインド人に対して、イスラム教徒のインド軍部隊やグルカ族と呼ばれるネパールの戦闘集団が無差別に攻撃した事件です。
 
この集会はイギリス植民地下のインドで、自国の製品を使おうということを主張したり、イギリスが制定した令状なしの逮捕、裁判なしの投獄という今見ると無茶苦茶だと思える治安法令(ローラット法)に反対するためのものでした。
 
当時のインドは英国の支配によって治安法令が制定されたことに対して大きな暴動が各地で起きていました。
これによってイギリス人に被害が出たため、集会も禁止されていました。
 
 
それでも4月13日には、二人の民族指導者の逮捕に抗議して、1万2千人が参加する集会がアムリットサルで開かれました。
女性や子供も参加していたこの集会で、インド軍や戦闘集団が発砲し、1500名以上が亡くなりました。
 
また、この頃他の地域でも群集に向かった発砲は行われていて、多くの犠牲者がでています。
 
 
言うまでもなくこの後インドの反英運動が激化します。
ガンジーもこの時期には南アフリカから帰国していて(1915年に帰国)、各地を回って現状を確認し、運動を開始します。
このアムリットサル事件への反発があったから、ガンジーが支持を集めることに成功したという見方もあるようです。
 
2013年にキャメロン首相が事件の現場を訪れていて「恥ずべき事件」としていますが、正式な謝罪はなかったということで批判を集めていたそうです。
(この国のトップによる謝罪問題もまとめて検討してみたいですね…)
 
 
植民地での市民の動きを抑え込んだ事件ということですが、こんなことしてその先に崩壊が待っていることくらいはわかるんじゃないかなぁと思いますけどね、とにかくその場を抑え込むことだけを考えてしまうのでしょうか。
 
 
それ以外にもイギリス領インド帝国の時代は各地で農業生産力が落ちたことで飢饉が何度も発生したりしていたようです。
このように、直接・間接的にその国の全てを変えてしまう植民地支配なわけですが、さらにこういった虐殺が起こると、どんな経済的な効果や発展を生み出していたとしても、手放しで評価することはできなくなります。
 
この後インドはさらにガンジーの活動や第二次大戦などを経てイギリスやインド、ミャンマーなどイギリス領だった地域の立場がそれぞれ変わって来たことで47年に独立することになります。
 
宗教のこともあって色々複雑ですが、引き続き勉強したいと思います。