世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その52 モントリオール理工科大学銃乱射事件

U-20のサッカーワールドカップでウクライナが優勝しましたね。
韓国との決勝戦ということで、盛り上がっていたようですが、サッカーはあんまり好きではないので私は寝てました。
 
 
ちなみに韓国ではサッカー観戦のお供はフライドチキンということで、昨日は出前が忙しかったんじゃないでしょうか。
 
 
 
さて、今日は1989年12月6日に起きたカナダの大学での銃撃事件です。
 
 
大学の教室に入った犯人マルク・レピーヌはまず男子と女子に分けます。
フェミニズムに反対しているというようなことを言い、教室にいた9名の女性を銃撃、その後移動しながら女性を銃撃し、男性4名を含む14名が怪我、14名の女性が死亡しています。
 
 
マルク・レピーヌは銃で自殺しています。
彼は幼い頃から父親に虐待を受けており、その父親は女性蔑視の考え方を持っていたようです。
いくつかの記述を見ると、父親の影響で彼も差別的な考えを持つようになったというような書き方なのですが…
 
 
ここでちょっと気になるのは、マルク・レピーヌの反フェミニズム的思想が本当にこの父親から来たものなのか、ということです。
マルクは14歳で父親の姓を受け継いだ名前からレピーヌという母親の姓を取った名前に変えています。
その理由は暴力を振るっていた父親が憎かったからで、それは理解できるのですが、その憎き父から女性蔑視の思想はそのまま受け継いでしまったのでしょうか?
 
 
 
それとも他にフェミニストを嫌うきっかけがあったのか…そこのところが定かではないのですが憎くても父のその考えには賛成ということだったのか、父とは無関係にアンチ・フェミニストの視点が育ったのか、その辺はよくわからずじまいでした。
 
 
 
 
日本もそうですし、韓国でも最近フェミニズムに対する議論が活発で(実際韓国では数年前に女性への憎しみという動機で男性が見知らぬ女性を殺害するという事件が起き、大きなイシューになりました)、このモントリオールの事件は三十年経った今でも(今でこそ?)ちゃんと考えるべき事件なんじゃないかなと思います。
 
 
大学というこれから社会に進出する女性がたくさんいる場所が犯行現場となったことも彼の狙いだったように思いますし、明確に殺したいフェミニストをリストアップしていたという点でも相当な憎悪を持っていたようです。
遺書も残していたので最初から実行して死ぬつもりだったのでしょう。
 
 
女性としては賛同できない考えではありますが、例えば「女性は家にいればいい」などと一人で考えている分には問題なくても、それを強制したり、「女性のせいで自分の社会進出がなくなった」という考えに変わればこういう犯行にもつながるんですよね。
逆に「男性のせいで私が~」というようになれば性別が女性が男性を…という犯行も充分ありえますしね。
 
 
私はフェミニズムはまだ正直よくわかりません。
蔑視は絶対に許されないけどたまに著名なフェミニストの方が過激な意見を発しているのを見て「ちょっと待て…」と思うこともあります。
 
 
明らかな差別はなくした上で、女性なら男性に、男性なら女性に「こうあってほしい、ああしてほしい」などを望まずに「私はこうであろう」っていう考えだけを持っている社会なら、健全で平和なままなんじゃないかなぁと、思うんですけどね。
それができてればなんの問題もないですよね。
難しいですね。
 
 
 
このカナダの事件は警察の遅すぎた対応にも批判が集まって警備体制の改善などの点でも転機となった事件でした。
 
本当、一つの事件だけでも色んなことを考えさせられて、勉強したいことがどんどん増えていきます。