世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その53 「安楽死」について考えてみる

 
 先日の香港の記事を手前さん(id:temae)が紹介してくださいました><
ありがとうございます。
香港の問題は今後も追いかけたいです。
 
 
 
さて、今日はちょっと備忘録とはちょっと違う?けど前々から気になっていたことを書こうと思います。
 
それは「尊厳死」と「安楽死」についてです。
 
この二つの違いは、調べればすぐ出てきますが、一言で書くと前者が延命治療を絶つ、後者は医師の補助の元、死ぬような措置を取るということです。
 
 
これを制度化することに賛成か反対かはパッと答えが出て来ないのですが…
 
日本でも「尊厳死」に関しては条件が揃い、正当な理由がある場合には行われていることもありますが、「安楽死」については多くの問題があるようで…
 
 
今までには”名古屋安楽死事件”(重病の父が飲む牛乳に毒を混ぜた)、”東海大学病院安楽死事件”(医師が患者の息子から楽にしてやってほしいと言われ、塩化カリウムなどを投与した)などが大きく報道されてたことがありますね。
 
結局どちらも殺人罪とされたのですが…
その理由としては”名古屋~”は医師が行っていない、毒薬という倫理的に適切ではない方法を取ったということ、”東海大学~”は激しい苦しみを患者自身が訴えてない、患者から死にたいという明示がなかったということが挙げられています。
 
 
この判決を見る限りはまぁそうなるよな…とは思うのですが
 
 
安楽死が認められている国、オランダでは自分の人生、終わりも自分で決めるというように肯定的にとらえているようで、正直、「いいな」と思いました。
安楽死自体が羨ましいというよりは、「選択肢があるということの羨ましさ」です。
 
自分が重病になることについて、「嫌だなぁ」などの感想は持っていても、縁起でもないから深くは想像しないタイプなので、もし病気になった時にそれこそ臓器提供のように自分に意思表示ができるなら、気持ち的に楽なんじゃないかなぁ…と思います。
 
 
安楽死が増えると医療関係者の精神的負担が増えるでしょうか?
それもそうかもしれません。
 
でも制度として定着すれば、医者もこういった殺人罪に問われることもなくなるわけですし、医療関係者にも拒否する権利を与えられれば、良いんじゃないかな…と思うようになってきました。
子供の頃は何がなんでも長生き!という考えでしたが、段々考えって変わるんですね。
 
 
でも、現実的に今の段階での実現は難しいと思います。
私も他に必要な法律などを押しのけてまで、安楽死を認めろ~!っていうような立場でもありません。
 
ただ、やっぱり最後まで自分の人生だから最後まで自分で選べる…という希望があるのもいいかな、と思いました。
 
 
こんなこと考えてたら『ミリオンダラーベイビー』をまた観たくなってきました
 
 
参考にしたもの
「年間6000人が安楽死を選ぶオランダは「幸せな死」をこう考える」週刊現代、2018年3月18日