世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その54 タスキギー梅毒実験

ネットフリックスで『クィア・アイ』というゲイ五人組が悩める人々を変身させるドキュメンタリー(?)を観始めたのですが、変身番組にありがちな「あなた何やってきたの」みたいな嘲笑のようなものがなく、とことんほめちぎってくれるのでこっちまで気分がよくなるランチタイムを過ごせています。
 
 
 
さて、今日はアメリカで起きた人体実験事件についてです。
 
1932年、アメリカの公衆衛生局がとある研究を始めます。
その研究とは、梅毒の進行を観察するものでした。
 
 
梅毒は性感染症の一種で、約10年以上放置を続けると歩行困難や記憶障害を起こしたり、死に至ることもある病気です。
 
 
この研究に協力したのはタスキギー大学。この大学は1964年の公民権法の施行以前にあった、黒人のための大学でした。
 
最終的な被験者は登録された貧しい黒人農民600名のうち既に梅毒にかかっていた399名でした。
この実験は半年間の予定で、これに参加した人には無償で医療が提供されることになっていました。
 
 
しかし、実際は40年続き、治療はありませんでした。
 
 
しかも、継続していく方法は「どうしようもなく続けた」というよりは意図的であり、被験者をないがしろにしていたとしか思えないようなものでした。
 
半年を過ぎると治療を行う予定だったのが、研究開始直前にその予算を打ち切られてしまっているのです。しかし、治療はないという説明も被験者にはありませんでした。
 
 
また、どんな病気か調べられたら困るからなのか、彼らに梅毒という病名すら話もせず、抗生物質が有効だと判明した後でも投与されていませんでした。
それどころか、この土地の住民なら受けられる梅毒プログラムに関する情報も遮断し、第二次大戦中の兵役登録の際に治療命令が出ても治療を妨害します(それでも抗生物質投与が行われた人もいるようですが)。
 
 
 
事件の終結
1970年、ピーター・バクストンというサンフランシスコの公衆衛生局員がマスコミに話を持ち込みます。
それ以前から彼は倫理や道徳に関しての懸念を示していましたが、上からこの研究の完了の必要性について説明を受けるだけでした。
 
彼の暴露により批判が強まり、政府が実験の終了を命じたことでこの実験は幕を閉じることになりました。
1972年のことでした。
 
この時点で生存者は74名。
子供が先天梅毒をもって産まれたという家庭もありました。
 
 
1997年には当時のクリントン元大統領が被験者をホワイトハウスに招いて謝罪しています。
 
 
 
書いていてもぞっとする事件でした。
単純な黒人差別の問題とも言い切れないのが、実験を行う側の黒人の存在です。
この研究で被験者と研究者の間でコーディネーター役を務めていた女性看護師もタスキギー大学で学んだ黒人であり、唯一実験の最初から最後まで携わった人物でした。
 
彼女が一対一の対応を続けていたからこんなに長い実験になったともいわれています。
(彼女は被験者のためになると信じていたようですが…)
 
被験者の男性たちが教育を受けておらず、新聞や本を読めなかったというのも研究者からすれば「好都合」(実際こう発言した実験の監督官もいる)だったわけです。
黒人差別ももちろんですが、知識人が階級の違い、教育水準の違いを利用し、事態を長期化・深刻化させたものだと言えると思います。
 
 
研究者がこういうことをしてしまうと、信頼を回復するのは相当難しいと思います。
 
実際この事件後、医者を信じなくなり、それだけではなくこの実験は梅毒に意図的に感染させたものだと信じる人も多くなり、病院に行かなくなる黒人の方も増えたそうです。
それはそうですよね。怖くなるのも無理ないと思います。
 
 
研究も大事ですが、医学研究で倫理が欠けるとこんなおぞましいことになる、というのをよく示している事件だと思います。
40年もの間、何も知らずに苦しんだ方々のことを思うと胸が痛いです。
 
 
参考にしたもの
Elizabeth Nix”Tuskegee Experiment: The Infamous Syphilis Study" 2018.11. 28.など