七月ですね。
大雨やヨーロッパの熱波など、異常気象も気になるところです。
さて、今日は六月初旬に書かれた記事を見て、一度書き留めておこうと思っていたことです。
2019年6月4日”カナダ先住民女性は「ジェノサイド」の犠牲者 最終報告書”
カナダで記事のタイトルにある通り、カナダの先住民の女性が多数失踪したり、殺害されていることについて、「ジェノサイドである」と認定する報告書が提出されたということです。
もちろん満場一致というわけではなく、「ジェノサイド」と認めるには国際的・法的に当てはまらない部分があるとして反論があるようですが
私が驚いたのはこの失踪・殺人事件が昔のことではなく最近三十年のものであったということ。
1980年から2012年まででカナダの先住民160万人のうち、およそ1200人(もっと多いかもしれないらしい)の女性や少女が殺害されたり、失踪したりしているのです。
なんでもカナダでは先住民というだけで暴力や殺害の危険にさらされる確率が他のカナダの女性よりも7倍高いと言われているらしく、日々危険にさらされているということのようです。
これに「ジェノサイド」という名前をつけていいのかについては私も疑問があります。
確かにこれによって注目を集めたり、賠償の問題などがあったりして、抑止力はあるかもしれませんが、むやみにつけると差別を助長することもあるんじゃないか、と思ってしまうのです。
しかし、こんな名前をつけなくても、1200人の被害者や、今も日常的に暴力にさらされているという事実は変わりません。
他の記事では男性も危険にさらされたり、失業率が高かったり、低賃金だったり、明らかな差別が行われているという記述もあります。
「ジェノサイド」であろうとなかろうと、問題は問題です。
トルドー首相就任後、迫害を正式に認め、様々なバックグラウンドを持った議員が入閣したことで少しずつ変わってはきているようですが…。
(それでも一人一人考えが変わらなければ変わりませんよね)
ジェノサイドかどうかの議論が出てからでは遅い気もしますが、それでも目を向けることが大事なんじゃないかな、と思いました。
日本はこういった多様なバックグラウンドについては少し疎いくらいのレベルだったかもしれませんが、差別はずっとありましたし、これから構成員がより多様化していって、考える機会も増えるんじゃないかと思います。
何度も書いている気がしますが、自分たちと違うからとか、マイノリティだからという理由で行う差別がその後何を生み出すか、もう歴史的な資料は充分出そろっています。
参考にしたもの
ハフィントンポスト”変化するカナダ、先住民族迫害を正式に認め調査開始へ”2015年12月20日
AFP BBNEWS”カナダ先住民女性は「ジェノサイド」の犠牲者 最終報告書”2019年6月4日