世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

ちょっと寄り道その⑥ 『フロリダプロジェクト』を観て

任天堂スイッチでフィットボクシングをやっていてアクティブになった気でいますが、結局インドアということに今日気が付きました…

それにしても暑いですね。

 

さて。家事の合間にネットフリックスで映画を観ました。

日本では2018年5月に公開されていた『フロリダプロジェクト』です。

 

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日本版ポスター(お借りしてます)

 

まず感想から書くと、すごく新鮮でした。斬新?というか…

どういうことかわからず数分間「は??」となりましたが。

 

ざっくりしたあらすじ(ここはネタバレなし)

フロリダのモーテルの一室を家としているヘイリーとムーニー親子。

始まってほんの少しで貧困に苦しんでいることはすぐにわかります。

ムーニーは同じくモーテル暮らしのスクーティーやジェンシーと走り回り、楽しそうに遊んでいます。ヘイリーとも関係は良好に見えます。ホテルのマネージャーのボビーもなんだかんだ言って子供を守ってくれます。

スクーティーの母が食堂で働いていることや、ボランティアの配給のようなものもあって、食べる物もそれなりにはある状態。

しかし子供たちのあるいたずらをきっかけに状況が変わり、ヘイリーも追い詰められていき…

 

 

 

*この先ネタバレがあります。

 

という、題材はとてもシリアスな映画。しかし、子供視点で描かれていることもあって、空はいつもきれいだし、自然の中でめいっぱい遊べて、ただただ楽しそうなんです。途中までは。

 

 

 

とあるいたずらをきっかけにスクーティーの母がヘイリーと絶交、ムーニーはスクーティーと遊べなくなり、食堂の無料のご飯もなくなります。

部屋代も決して安くはない(一晩38ドル)ので、ヘイリーは部屋での売春をしてしまいます。盗んだものを売ったり、詐欺まがいなこともずっとしてきています。しかもムーニーと一緒に。

最終的にヘイリーは売春のことがわかり、警察と児童局の職員が来てムーニーを引き離します。

ムーニーはジェンシーにお別れを言いに行きますが、大人しくて引っ込み思案に見えたジェンシーがいつも笑っていたムーニーの泣きじゃくる姿を見て、手を取り走り出します。

 

 

その瞬間、カメラが手ぶれだらけの恐らくスマホのカメラのようなものに変わります。

二人を追いかけるのですが、二人は走り続け、最後にはディズニーランドに入り、そのまま走り続ける…という目が点な展開。

そしてそのまま映画は幕を閉じます。

 

チケットもないのにディズニーランドに入れるわけもないので、メタファーだと思うのですが、考えてみた私なりの解釈はこうでした。

 

ムーニーはモーテルにいた頃はどんな瞬間も楽しそうでした。後半それが揺らぐ瞬間はあるのですが、それでも楽しそうで、物乞いのようなことをしている時でも堂々としていて、そこだけがムーニーの世界でした。

「可哀想な状況だな」と思っていたのは観る側の先入観で、ムーニーにとってはただの楽しい日常。学校だってちっとも羨ましくないそんな状況だったのです。

 

でも、児童局に引き取られるということはそんな楽しい生活も終わりだということです。観る側にとっては、「ああ、よかった、これで教育も受けられるし…」と考えるかもしれないのですが、ここからの人生がムーニーにとっては辛い現実なんだと思います。

その比喩としてのディズニーランド。

 

家族連れがたくさんいて、みんな旅行する余裕がある人々。

現実から夢の世界に来てる人々。

でもムーニーにとってはそこは夢でもなんでもなく、貧困という現実を突きつけるのには十分な場所…ということだと、私は思いました。

 

もっとも、映画を観てると不思議とムーニーが保護されそうな場面で「ああ、よかった」とはならないんですよね。「これからどうするんだろう…大変だなぁ」

という気持ちでいっぱいになります。

最初は無責任だなぁと思ってたヘイリーも、ムーニーと無邪気に遊んでる姿を見ると、不思議とこれも愛情なんだよなぁと思えてしまいます。

 

格差や若い人の貧困について考えることはもちろんですが、子供の逞しさと子供の「普通」と大人の「普通」が違うこと、いつも大人は大人の「普通」に合わせて子供にとって何が良いのかを考えがちなこと…色々考えさせてくれる映画でした。

 

結末を知った上で、もう一回観たい作品です。