世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その32 寿産院事件

任天堂スイッチのフィットボクシングのおかげで(せいで?)毎日筋肉痛です。
こんなにも筋肉使えてなかったのかと、愕然としています。
 
 
さて。今日は恥ずかしながら最近初めて知った事件です。
1944年~1948年に起きた寿産院事件。
 
100人を超える乳児が殺された事件です。
 
第二次大戦後、ベビーブームとなった日本ですが、多数の乳児が寿産院に預けられました。
「産院」とありますが、病院として機能していたわけではないようで、今でいう児童養護施設の乳児院のような感じみたいです。
子供を預け、里子に出したり、そこで養育する施設です。
 
44年に石川ミユキ、猛夫妻が開院した産院は、新聞に広告を出し、貧困で食糧難などに陥っていた母親から一定の金額を受け取って子供を預かりました(当時の物価では相当な額です)。
預かったのち、売りに出された子供もいます。
 
子供を預かる施設となれば、自治体からの補助金もあり、ミルクなどの支給もあります。
それらを横流しし、お金を儲け、実際子供の面倒は見ていませんでした。
 
赤ちゃんが亡くなっても、供養どころか遺骨を放置するなどずさんな管理は続きます。
 
 
事件は偶然発覚します。
警察官がリヤカーにミカン箱を乗せた男を職務質問したことがきっかけでした。
箱の中身は赤ちゃんの遺体で、男は葬儀屋でした。
彼が「寿産院に頼まれて運んでいる」と言ったことから、事件が発覚し、夫妻は逮捕されます。
 
驚くことに夫妻は「他でもやっている」というようなことを口にし、実際他の産院でも60人を超える赤ちゃんが殺されていたことがわかるなど、大きな波紋を呼んだ事件のようです。
 
 
石川ミユキは東大の医学部で産婆になるために勉強していましたし、区議会議員選挙に出馬したこともある人物。
無事な出産を助ける立場であるはずの石川ミユキがどうしてこんなことをしたのか…
お金しか見えなくなっていたんですかね。
 
 
実際、もらい子殺人事件というのはこの頃多かったようで…
口減らしなどもそうですが、生活に困窮するとまず赤ちゃんが被害を被りますね。
 
この事件について、プロレタリア作家の宮本百合子の記述で終わりたいと思います

どういう男女の間から生れてもそれは人間の一人の子供であって、“生れた”という言葉は絶対にこの世に現われた子供が自分で自分を生んだのではなくて受身にこの世に送り出された関係を語っています。まして私生子というような区別を戸籍の上にさえおかない様になってきている今日、子供はすべて社会の子供として生命を保証される権利があります。そして私どもにはその義務があります。 

 

参考にしたもの
宮本百合子、『”生まれた権利”を奪うな―寿産院事件について―』 青空文庫