休憩と言いながら、朝からサウジアラビアのことを調べていました。
ハイファ・アル=マンスール監督の『少女は自転車に乗って』というサウジアラビア映画を観たからです。
なんとなく観る前と前半は1997年のイラン映画『運動靴と赤い金魚』と似てるのかな?と思ったのですが…
観終わった後にはだいぶ違うことに気が付きました。
似てると思った理由は子供が何かが欲しくて一生懸命頑張る、という点だけだったのですが…観てみると『少女は自転車に乗って』は「子供」よりも「女性」が自転車を欲しがるという点が一番のポイントでした。
※以下多少物語の核心に触れます。
~ざっくりしたあらすじ~
10歳の少女・ワジダは男の子が乗っている自転車に憧れて、お金を貯めます。
母親からは女の子は自転車に乗らないと言われ、先生からは髪の毛をしっかり隠しなさいと怒られる日々です。お転婆で可愛らしいけど窮屈そう。
どうしても自転車を買いたいワジダは賞金が出るコーランの暗誦大会に出ることにする…というお話です。
ワジダは家を見る限りは裕福な方だと思います。母が外出するために運転手がいるくらい。相場がどんなものかはわかりませんが、家の広さや家具、母親の洋服などからも経済的に困ってはいなさそうです。
自転車も、買うお金がないわけではなく、単純に女の子は自転車に乗っちゃいけないという考えを母が持っているからです。きっと学校の先生たちも母親と同じ意見だったと思います。
問題はそういった「女はこう」という固定観念にあります。
男の子がいないことで父親が外に家族を作りに行くなどの会話があったりもしますしね…ただ、母もワジダも学校の先生たちも、強いです。
虐げられている感じではないんです。
弱い立場にあるし、ステレオタイプから抜け出すことは難しいけど、その中で生き生きとしているというか…だからワジダものびのびしてるんでしょうね。
だからこそ、余計に自転車に乗ってはいけない理由なんてないように思えてきます。
乗りたいし、乗れるエネルギーを持っている。
それが全体から感じられる映画でした。
この男尊女卑が宗教によるところが大きいというのは明らかですが、結局ワジダは宗教クラスに入り、コーランを暗誦するという手段で自転車を手に入れようとするところが興味深かったです。
今あるシステムから逃げるのではなく、その上に立ってから…というのがカッコいいというか。
そこまでワジダや制作側が考えたのかはわかりませんが。
その制作に携わった人々というのも、サウジアラビアでは革新的でした。
サウジ初の女性監督による映画で、しかも当時はサウジアラビアで映画館が禁止されていた状態でした(結婚式など以外の集会が禁止)。
この映画も撮影はサウジアラビアで行いましたが(映画館禁止だけど撮影しちゃうっていう意気込みがすごい)、上映はドバイで行われ、その後ヴェネチア国際映画祭に出品されて評価されました。
現在は映画館での上映が解禁され、男女同席もできるということです。
この映画が話題になったあと、女の子が自転車に乗ることも認められるようになったとか。映画や文学の力は侮れませんね。
あと、個人的に考えさせられたのは、低い地位にある女性は昔と変わらず家に縛られ、自転車に乗ることもままならないのに、男性は家で最新のテレビゲームをしていたり、現代の娯楽を享受している、ということ。
ゲームするなとは言わないけど、なんだか都合が良いなぁと思ってしまいました。