世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その30 ひめゆり学徒隊

こちら韓国・水原。まだ暑いほどじゃありませんが湿気が確実に梅雨っぽい感じです。
 
 
今日はひめゆり学徒隊について書きます。
様々な作品でも描かれていたりしてかなり知られていると思うので、覚え書き程度になるかと思います。
 
 
元も子もないですが、一番いいのは沖縄にある「ひめゆり平和祈念館」に行くことですかね。
私も高校の修学旅行で行ったきりですが、またぜひ沖縄に行くことがあれば行きたいです。
 

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ひめゆりの塔

ひめゆり学徒隊は日本軍の看護訓練によってつくられた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒で構成されたものです。
 
ひめゆり学徒隊が知られていますが、他の学校を主体とした学徒隊もありました。
 
この「ひめゆり」という名前は、第一高等女学校の広報誌「乙姫」と師範学校の広報誌「白百合」を合わせてひめゆりとなっているそうです。
 
 
1945年3月、222名の女子生徒と18名の教師は沖縄陸軍病院に動員されました。
病院に動員といっても、彼女たちの勤務地は2段ベッドを取り付けた横穴壕でした。
 
6月18日、突然の解散命令が出ます。
解散命令が出るとどうなるか。彼女たちは軍の所属ではなくなります。
戦時中の攻撃から守られる医療従事者でもなくなり(そもそも医療施設も既に攻撃を受けてはいた)、壕を離れて戦火の中を逃げることになります。
 
 
かといって壕の中が安全なわけでは決してなく、解散命令が出た翌日の6月19日に、第三外科壕には手りゅう弾などの攻撃を受け、軍人、学生、教師含む96名のうち87名が亡くなっています。
この壕で生き残った学徒はわずか5名でした。
 
第一、第二外科壕は大きな攻撃の前に壕を出ていましたが、逃げる途中で多くの学徒が犠牲になっています。一部は第三外科壕に避難したあとに犠牲になった方もいるようです。
 
 
まだ15歳~19歳の女の子たちです。ひどい傷を負った男性の治療だけでも負担が大きいのに、それをお国のためだからと頑張っていた少女たちが解散というひどい仕打ちを受ける…
 
戦争って一人ひとりの命やその後の人生、能力、全てが完全に無視されるものなんだと改めて感じました。
ある議員の「戦争」発言が問題になっていましたが、まだわかっていない人がいるんだな(しかも勉強したはずの議員の中に)、そう思いました。
 
 
参考にしたもの
今日はひめゆり学徒隊が解散した日
ひめゆり学徒隊