世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その2 ベスラン学校占拠事件

2004年9月1日から3日にかけてモスクワから南に100マイル(約160キロ)の北オセチア共和国ベスラン市にあるベスラン第一中等学校をチェチェン共和国独立派を中心とする武装集団約30人が占拠し立てこもった事件です。

 

その日は始業式で親御さんたちも学校に来ていたため、人質は1000人を超えました。

途中交渉によって妊婦と乳幼児数十名が解放されましたが、多くの子供たちや職員、保護者は蒸し暑い体育館で飢えや乾き、恐怖心と戦いました。

9月3日、ロシアの特殊部隊が突入するも銃撃戦や爆発で多くの犠牲者が出ました。

 

チェチェン共和国って?

ロシア連邦北コーカサス連邦管区に属する共和国。位置的にはジョージアやアゼルバイジャンなど中東地域に近い場所にあります。

ソ連解体後、チェチェン共和国としての独立を進める独立派とロシア残留派による紛争やテロ事件が何度も起きています。

この事件でも犯人グループはチェチェンからのロシア軍の撤退などを条件に出していたといいます。

 

日本でも一時期チェチェン共和国の情勢はニュースになっていた気が…モスクワの劇場占拠事件なども有名ですね。

ベスラン学校占拠事件も三日間もたてこもっていたこと、多くの子供が犠牲になったことで衝撃的でした。

しかしあの頃の私は中学生で、まだチェチェン共和国って? 状態だった気がします。

 

ベスランっていうのもロシアの都市名かと思っていましたが、正確には北オセチア共和国にあるんですね。

 

これが疑問でもありました。

なぜチェチェンの独立派はモスクワを襲撃した時のようにロシアの中心部ではなく、北オセチア共和国というチェチェンと同じ連邦管区に属する共和国にある学校が標的になったのか、ということです。

 

これは北オセチア共和国の立ち位置の問題なのですが、チェチェンの独立派のテロや暴動を抑えるために派遣される軍の拠点が北オセチア共和国にあるのです。ということは同じ自治共和国ではありますが、内部でのロシアに対する感情は色々あるにしてもざっくり言えばチェチェンから見れば北オセチアも敵、ロシアから見れば北オセチアは味方ということになりそうですね。

現在でも共和国同士は領土紛争が続いていたりイスラム過激派が入ってくるなどして色々複雑なことになっているようです。

 

さて話をベスランに戻して…

この事件では400人近くが犠牲になり、その後も精神的に苦しんでいる人がたくさんいるそうです。

 

あの頃幼かった子供たちは青年になっていますね。

動画サイトにドキュメンタリーや報道、10年後の学校の様子などの映像はたくさん上がっていますが、


The Beslan School Massacre (1 of 6).mpg

 

での子供たちへのインタビューは胸が苦しくなります。 part4だけ消されてしまっているようですが…

 

お父さんやお母さんが亡くなった状況について、よくこんなに細かく聞けたな、っていうか子供たちの気持ちを考えるとここまで聞かないでほしかった気持ちも正直ありますが…

心配していたのは彼らが持つ憎しみがいつか暴力とならないか、ということだったのですが、やはりこの動画でも最後のほうで男の子が父親の復讐にチェチェン人を殺したい、と発言します。

もしその行為が本当に行われたとして、それもまたテロリスト同様非難されるべきですが、子供たちが持つ復讐の感情まで非難できるか、と言われるとすごく難しいですね…

どこかで連鎖が止まってほしいです。

 

一方チェチェン共和国は2014年、カディロフ首長とプーチンが正常化宣言を行ったことにより日常を取り戻したようです(が、最近ではロヒンギャ迫害問題に反対意見を出すなどして関わっていたり、同性愛者への拷問が明るみに出るなど何かと問題あったみたいですが…)。

またプーチンの盟友とも紹介している記事もありますが、改めてプーチン大統領の強さというか恐さを垣間見たような、そんなロシア連邦の事件でした。

 

個人的にロシアは行ってみたい国でもあるし興味もあるんですが整理して書くのがとても難しいですね…通史で勉強する必要がありますね。

 

とにかく一連の紛争で多くの市民や子供たち、ジャーナリストや弁護士などが暗殺されたことも含めて、覚えておきたいです。