世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その61 亡命手段としてのハイジャック

NHKでG20の中継を、これだけ集まると準備したり警備する人は本当に大変だろうなぁと思いながら見ていました。
 
全国でコインロッカーやトイレのゴミ箱問題もあるようで、ここまでの厳戒態勢ではなくても、もっと長期間警備などの面で緊張状態が続くオリンピックはどうなるんだろう…と心配になりました。
 
 
さて、今日は戦争ではなく、ハイジャック事件について書いてみたいと思います。
 
 
 
1996年、エチオピア航空961便がオーストラリアへの亡命を要求する三人によって、ハイジャックされました。
 
アディスアベバ発の飛行機に乗った犯人たちは副操縦士を襲ってコックピットを占拠し、オーストラリア行きを要求しました。
ケニアやナイロビを経由する予定だったので充分な燃料はありませんでした。
 
しかし、その機体の最大航続距離を知っていた彼らは機長の話を嘘だと思い、飛行を続行させました。
 
結局燃料は切れ、グライダー状態になっていた飛行機はインド洋の島国であるコモロの空港への着陸を狙っていましたが、結局機長が犯人と争っている間に空港を見失い、海面に突っ込んでしまいます。
 
乗客乗員175名のうち123名が死亡しました。
日本人の犠牲者もいらっしゃったようですね。
 
 
 
実はエチオピアからの亡命と関係するハイジャックは、つい最近ともいえる2014年にも起きました。
 
2014年2月17日、エチオピアの首都、アディスアベバ・ボレ国際空港を離陸し、ローマ経由でミラノに向かっていたエチオピア航空702便がハイジャックされました。
 
乗員・乗客は202名だったのですが、犯人は副操縦士でした。
 
機長がトイレに行った隙にコックピットのドアをロックし、ジュネーヴの管制官と交信し、自身がエチオピアに送還されないように交渉します。
つまり、スイスに亡命することが望みでした。これだけが望みだったので、彼は非武装でした。
 
そしてジュネーヴ国際空港に着陸します。
その後はロープを使ってコックピットから飛行機を降り、警察に捕まりました。
 
 
この副操縦士は31歳のHailemedhin Abera Tegegnという青年でした。
 
詳しい亡命理由については明かされていないのですが、当時エチオピアでは民族弾圧が行われていたりしたということで、この副操縦士も命の危険を感じていたとのことです。
 
スイスで懲役刑を課せられるということでしたが、その後どうなっているのでしょうかね…。
 
 
2014年のハイジャックはけが人や死者こそ出ていないものの、どちらもこんな極端な事件が起きるほどエチオピアで一般市民が脅威を感じるような状況だったということなんですかね。
エリトリアとの国境争いなどで1990年代後半からは混乱が続いたりもしていました。
 
ハイジャックじゃなくても、リオオリンピックのマラソンでエチオピアの選手がオロモ族への圧政を批判するポーズを取り、アメリカに亡命したこと(後に帰国)も話題になっていました。
 
他の人を巻き込むような方法は非難されるべきです。
特に1996年の事件は多くの犠牲者が出ていますし、許されることではありません。
でも、具体的にその国で一般市民が脅威を感じるようなことがあったのなら、その国の情勢や政権に根本的な問題があるわけで…月並みですがこういった事件が起きたことを政府は深刻に受け止めて改善するべきだと感じました。
 
参考にしたもの
CNNJapan「 エチオピア航空機乗っ取り、副操縦士を逮捕」2014年2月18日
六辻障二「男子マラソン銀メダリストの講義:エチオピア政府による弾圧とは」2016年8月22日