世界の備忘録

歴史上の忘れたくない事件などをまとめていくブログです。

備忘録その3 様々な後遺症

このブログを書いていたのが3月20日で、ちょうどオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた日でした。

オウム関連の事件は生まれる前に起きたものもありますが、このサリン事件の時は幼稚園生で、丸の内線が近くを走ってる町に住んでいたこともあって、周りがあたふたしていた記憶がぼんやりあります。

 

何かサリン事件について書きたいと思ったのですが、どうまとめていいのか、よくわからなくなってしまったので、今日はこういった悲惨な事件が起きた後の後遺症について書いてみたいと思います。

今も苦しんでいる人がいるということを忘れないためです。

 

医学について専門的に勉強したわけではないので、表面をサラっとなでる程度のものになりますが…

 

 

①サリン事件の後遺症

私は正直、この事件がなければサリンという名前も一生知らずに生きてきただろうというくらいの文系なので、成分のことについては何も判断できないのですが…

 

まずはwikiからの知識を自分なりにかみ砕きます…

サリンというのはアセチルコリンエステラーゼ阻害薬の一つのようで、何を阻害しているかというと、アセチルコリンの分解を阻害しています。アセチルコリンは脳が送る信号の伝達役をしていて、分解されて取り除かれないと次の信号が伝達されない、ということになります。

この阻害薬には可逆性と非可逆性があり、可逆性のほうはアルツハイマーの治療薬などにも使われているようですが、非可逆性は農薬や殺虫剤などとして使われているようです。

 

菊地(2016)によるとサリンによる後遺症は眩暈やぼやけるなどの目の症状や、だるい、疲れやすいなどの症状が一年後など慢性期にも続いたことが、調査によってわかっているそうです。

 

脳への影響が出た重症の方は上で書いたアセチルコリンが正常に分解されず、信号伝達が妨げられている状態、と言えるようです。

 

あの日から24年もの間、こういった身体的な症状以外にも地下鉄に乗るのが怖いなど、恐怖を抱えて生きている方はいっぱいいると思います。

 

死者13人、負傷者6000人以上を出した大きな事件です。

風化しているんじゃないか、という記事も見たことがありますが、二度とこんなことが起こらないためにも死刑が執行されたから終わりではなく、日常の一瞬でも3月20日の一日だけでも事件のことを思いだして、記事を読んで振り返って、今も苦しんでいる方のために祈る日にしたいです。

 

 

原爆症とその認定問題

広島、長崎に1945年8月に原爆が投下されて74年目になります。

戦争を知る世代が減って来ていますが、原爆の後遺症に苦しんでいる人はたくさんいます。

約2000人が原爆症と認定されているようですが、これは全被爆者の1%未満。

健康被害が出ても、それが放射能のせいとは限らないという判断で認定されなかった方々が大勢いらっしゃるようです。

 

それらの病気が全て100%放射能のせいと言えるのかは私にはわかりませんが、子供の頃やお腹の中にいる時に原爆が投下され、症状が出るか不安に思いながら生きていた方々への補償は十分に行われてほしいなと思います。

 

また、政木みき(2015)の調査によると、原爆投下について広島や長崎でも「今も許せない」としている人が減り、「やむを得なかった」としている人が増えたと言います。

 

うーん。これはどうなんでしょう。

当時の日本の状況を考えてのことなのだと思うのですが、身近に被爆した人がいても「やむを得なかった」と答えてる人がいるようなので驚きました…

 

戦争を終わらせることも必要だったけど、市民に向かって爆弾を落とすことにやむを得ないってことはない気がするのですが…(もしも新型爆弾の実験も兼ねてたという説が本当なら尚更やむを得ないなんてありえないと私は思いますが)

やむを得なかったのか? ちょっとショックな調査結果でした。

 

 

③PTSDなど精神面への影響

上で参考にしていた菊地(2016)などでも指摘されているように、体の異変がいつどんなきっかけで発症するか、逆にどう治っていくかは心理的なものが大きく関係しているようです。

つまり、心理的な回復もとても大切なことだと言えますが、その妨げとなる障害がPTSDです。

 

厚生労働省の定義によると

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、時間がたってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものです。

症状としては突然その場面を思い出したり、イライラが続いたり、思い出しそうな場面を避けたりなどが挙げられるようです。

 

実は先日のブログに載せたベスラン学校占拠事件の動画を観ていて異様に淡々としている子供や、目が座っている子供の様子を見てPTSDのことがふと頭をよぎったのでした。

その子供たちが何か症状を抱えていたのかはわかりませんが、こんな風に詳細に事件のことを話したり、ボロボロになった学校を案内して「ここでお父さんが死んだ」などと話すのは大丈夫なのかな?何かショックを呼び起こしたりしないのかな?と不思議だったのです。

 

また、戦争そのものが悲劇ではありますが、その後の兵士らの苦痛についての記録や、それらを描いた映画なども色々ありますよね。

 

「ディア・ハンター」などに出てくる戦闘後の兵士が気が狂っていく様子などは戦争が遺していくものを生々しく見せていると思います。

 

自然災害にも言えることですが、大きな災害や戦争は人の内面も壊してしまう、ということを忘れたくないな、と思います。

 

参考文献

菊地裕絵(2016), サリンによる神経学的後遺症, 日本生物学的精神医学会誌 27(2):80─ 83

政木みき(2015), 原爆投下から70年、薄れる記憶、どう語り継ぐ, 放送研究と調査 11月号

厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_ptsd.html